藤浪晋太郎はまた苦悩のトンネルに足を踏み入れてしまったのだろうか。

プロ9年目で初めて開幕投手を任された21年。5試合先発で2勝1敗、防御率2・60と粘投を続けながら、徐々に制球の乱れが大きくなり、4月24日に出場選手登録を抹消された。5月以降も1軍マウンドから遠ざかったままだ。

ただ、今年4月で27歳になった藤浪を、数年前の背番号19と同列に論じるわけにはいかない。そう感じさせるほど、21年春の藤浪はポジティブな言葉と笑顔がよく似合っていた。

「今までは何か言われたりすると『なんやねん』と思ってしまっていた。今はそういうことも受け流せるようになりました」

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2月下旬、藤浪は1軍キャンプ地の沖縄・宜野座でそう笑っていた。いわゆる「スター扱い」を堂々と受け入れられるだけの準備が心技体ともに整ったようにも映った。

「自分を特別だと思って。スペシャルだと思えば注目されることも割り切れるから」―。

これはここ数年、親交の深い武豊騎手から受け取ってきた金言の1つだ。レジェンドからの言葉をようやく体現でき始めた実感があるのだという。

「無理にそう思おうとするのではなく、自然にそう思えるようになってきたんです」

藤浪は決して後退している訳ではない。少なくとも、数年前と比べてバージョンアップしている。

思い返せば、少し迷い込んだだけのはずだったトンネルは驚くほど長かった。

今、「藤浪晋太郎」をイメージした時、大阪桐蔭3年時の甲子園春夏連覇や高卒1年目からの3年連続2ケタ星を真っ先に思い浮かべられる人はどれだけいるだろうか。

極度の制球難に苦しみ続けた近年の印象はそれほど強く、切なかった。

不要論やトレード説も頻繁に飛び交った日々。「イップス」というレッテルを貼られながら地道に黙々と鳴尾浜でボールを投げ続けた姿は、今も記者の脳裏に焼きついて離れない。

「自分なんかのレベルでイップスという言葉を使うのは、本当につらい思いをしている人たちに失礼」

「技術はメンタルを凌駕(りょうが)する」

歯を食いしばって貫き続けた信念が再び結果に結びつき始めた昨夏、苦悩と努力を目の当たりにしてきた人々は一様に心の底から喜び、安堵(あんど)していた。

新型コロナウイルス感染などを乗り越え、692日ぶりの白星を手にした昨年8月21日の神宮球場。藤浪は少し照れ笑いしながら自身の変化を表現している。

「人の痛みが分かるようになりました。人間として1つ成長できた、大きくなれたのかなと思います」

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昨季終盤には中継ぎも経験。同じタイミングでフォームも安定し、10月には球団最速を更新する162㌔も計測した。もともと球界屈指といえる潜在能力の持ち主。鍛え抜かれた心と技術が一気にかみ合えば、再びスター街道の入り口に立つのは必然の流れだった。

今年3月、藤浪は「異例」と表現できる流れで開幕投手を任されている。過去2年間でわずか1勝しかしていない立場での抜てき。計り知れない重圧について問いかけた時も、柔和な表情のままメンタルコントロールの方法を明かしていた。

「自分で言うのもなんですけど、ある意味、宿命なのかなと考えて…。そういうところに投げていかないと自分は強くはなれないんだと、そう思うようにしています」

もう、ちょっとやそっとの事象では動じない。何度となく修羅場をくぐり抜けてきた経験値は今後、必ず完全復活の土台となることだろう。

今春は2軍再調整を命じられた直後、すぐさまノーワインドアップ投法に再挑戦。再び苦境に立たされても成長をもくろむ、その向上心からも前向きな感情がくみ取れる。

恥ずかしい話だけれど、6年前、記者は藤浪登板の度にビクビクしていた。

14勝7敗、防御率2・40で最多奪三振のタイトルも獲得した15年。毎度のようにノーヒットノーランの予感が漂い、快投に見合うだけの原稿を用意できるのか不安でならなかったのだ。あの頃の圧倒的、支配的な投球がよみがえる日が待ち遠しい。

右腕は今春、何度となく口にしていた。

「『藤浪が投げる日だから見に行きたい』と言ってもらえるように頑張りたい」

160㌔に迫る剛速球に140㌔後半のスプリット、勝負どころで握りしめる右拳に野球少年のようなハツラツ笑顔…。華のあるマウンドさばきの復活を、甲子園が待っている。【佐井陽介】

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