阪神で強打者として活躍したハル・ブリーデン氏が、3日に死去していたと米国紙のオールバニ・ヘラルド(電子版)が10日までに報じた。76歳だった。死因は明らかになっていない。「赤鬼」の異名を持ち、来日1年目の1976年(昭51)に40本塁打を放つなど、田淵、掛布、ラインバックらと強力打線を形成。4番も務め、3年間で79本塁打を放った。

   ◇   ◇   ◇

阪神伝説の助っ人が3日、天国に旅立った。ブリーデン氏は米ジョージア州オールバニ出身。カブス、エクスポズ(現ナショナルズ)を経て76年に阪神入り。内野手では珍しい左投げ右打ちで、一塁を守った。

来日1年目は1試合2発以上のマルチ本塁打を5月に5度、年間で8度マークするなど、40本塁打を放った。阪神の助っ人で1年目に40発は、いまだ誰にも破られていない。丸太のように太い腕からバットを軽々と振り、豪快に引っ張って大アーチをかける姿は、愛称の「赤鬼」そのものだった。背番号はのちにバースに引き継がれる44。第50代4番も務め、前年75年に本塁打王を獲得した田淵に与えた刺激も大きかった。

76年に同時入団した左打ちの外野手、マイク・ラインバックと3年間、強力助っ人コンビを形成。阪神最強の助っ人コンビと称された。吉田監督が指揮した76年は40発のブリーデンを筆頭に、田淵39発、掛布27発、ラインバック22発。巨人に2ゲーム及ばず2位だったが、当時のセ・リーグ記録を塗り替える193本の本塁打を放った。輝流(きりゅう)ラインのタテジマユニホームの強力打線は、虎党を熱狂させた。

2年目の77年は37本塁打。そのうち3本が満塁本塁打だった。9月14日の広島戦(甲子園)では代打サヨナラ本塁打も放った。メジャーでは代打で2打席連続本塁打を放ったこともあり、ここぞの場面での集中力はさすがだった。

78年は右膝の故障で17試合の出場に終わり、6月に退団した。阪神での2年半で260試合に出場し、打率2割5分1厘、79本塁打、194打点。盟友のラインバック氏は89年に39歳で亡くなった。一時代を築いた虎の助っ人がまたひとり、人生に幕を下ろした。

◆ハル・ブリーデン 1944年6月28日生まれ、米国ジョージア州出身。71年にメジャーデビューし、カブス、エクスポズを経て76年に阪神入団。1年目に40本塁打を放ち、77年にはオールスターに出場。ラインバックとともに強打の助っ人として活躍。78年に故障し、途中退団した。引退後は故郷ジョージア州リー郡で保安官を務めた。現役時代は188センチ、91キロ、左投げ右打ち。大リーグでは5季プレーし、通算274試合で打率2割4分3厘、21本塁打、76打点だった。

阪神ニュース一覧はこちら―>

セパ勝敗表はこちら―>