今季限りでの引退を発表した平成の怪物・西武松坂大輔(40)の「影武者」として一躍有名となった阪神谷中真二スコアラー(48)が、現在は裏方として首位阪神を陰から支えている。【取材=石橋隆雄】

「影武者」を命じられたのは22年前、99年2月14日のバレンタインデーだった。谷中さんが「とんでもない数の人が来ていた」と驚くように、西武の高知・春野キャンプは怪物ルーキー松坂をひと目見ようと1万5000人のファンで膨れ上がっていた。

松坂が移動できない状況の中、当時の森繁和2軍投手コーチから「やれ!」と、松坂のユニホームを着て影武者になるよう指令を受けた。「背格好が似ているといっても10センチくらい僕の方が低いんですけどね」と、背番号18の松坂のユニホームを着て帽子を目深にサングラス姿の谷中さんがブルペン横の控室から飛び出した。「森さんから『速く走るな。ある程度ついてこられるスピードで』と言われたので。すごい数の人がついてきましたね」。作戦通り、ファンが追い掛けやすい速度で陸上競技場までの約500メートルを小走りし、見事に演じ切った。

本物の松坂は谷中さんのグラウンドコートのえりを立てて着て悠々と移動。当時の日刊スポーツの記事では松坂は「まんまとかかりましたね」、谷中さんは「恥ずかしかった」とコメントを残している。この1回限りだったが、プロ3年目だったこの年、ファンからも「影武者」とやじられ、オフに年俸がアップしても「影武者料」と言われ、当時は悔しい思いもあった。「恥ずかしかったですよ。(当日に)松坂からは『すみません』と言われた。今となっては、いい思い出でしかないですね。僕は球団から何も言われなかったので、(発案者の)森さんが助けてくれたのかもしれませんね」と笑った。

当時は西口、豊田、森慎二ら剛球自慢が多くいた西武投手陣の中でも高卒1年目の松坂は群を抜いていた。谷中さんは「やっぱりすごかった。引けを取らない真っすぐを投げていたし。スライダーも『何じゃコレ!』っていうくらいに曲がっていて高校生とは思えなかった」と驚くしかなかった。「もう1度西武のユニホームで投げる姿を見たかった」と残念がった。

阪神では01年途中から03年までプレーした。01年は野村監督から内角攻めを徹底され、先発で自己最多の7勝を挙げた。「野村さんに『ワシが責任を取る』と言われて、打者に怒られようとも、生きていく道と思って内角に投げましたね」。星野監督のもとでも2年プレー。オリックス、楽天と4球団を渡り歩いた経験や人脈は19年から務める阪神でのスコアラー業にも役立っている。「僕は先乗りスコアラーからもらった資料、映像をまとめる仕事。やりがいはありますよ。やっぱり打線が打ってくれたり、投手が抑えてくれたら」。ドラフト1位佐藤輝は相手の攻めが厳しくなっている現状だが「やはり配球面は気にしているんじゃないか」と谷中さんらの資料を頭に入れ、克服しようとしている。「僕らは選手の役に立つことを見つけてやるだけ」と、16年ぶりのリーグ優勝を狙うチームを裏から支えている。

◆谷中真二(たになか・しんじ)1973年(昭48)5月15日、大阪・阪南市生まれ。泉州高から小西酒造を経て96年ドラフト3位で西武に入団。01年途中に平尾とのトレードで阪神へ。04年オリックス、05~07年楽天、08年に西武に戻って10年限りで引退。通算243試合、21勝25敗、防御率4・55。西武でスコアラーなどを務め、19年から阪神でスコアラー。右投げ右打ち。174センチ、82キロ。