西武一筋20年、栗山巧外野手(38)が通算2000安打を達成した。球団生え抜きでは初の快挙。残り1本で迎えた楽天戦の9回1死走者なしで、元同僚の牧田から、鋭い打球を左前へ運んだ。プロ3年目の04年に初出場初安打を記録してから2041試合目での達成。埼玉・所沢で牙を研ぎ続けた「ミスター・ライオンズ」が、その名前を球史に刻んだ。20年間の思いを込めて、日刊スポーツに手記を寄せた。

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正直いうと、打てるかどうかもわからないのに、軽々しく口にしたくなかった。2000安打というのは、それぐらい簡単に達成できる数字ではないと思っていました。本当にありがたいことに、球団、スタッフの方々、チームの仲間のみんな、そしていつも温かい声援を送ってくれるファンの方々の存在なくして、この記録はなかったと思います。本当に感謝しかありません。

プロ20年目でたどり着いた理由を自分なりに考えてみました。まずは、大きなけががなかったというのは1つあると思う。06年に右手有鉤(ゆうこう)骨骨折、12年に左尺骨骨折。大きなけがといえばそれくらい。これは小さい頃から、これでもかと、何度も限界までバットを振り込んできたことが生きている。「まだいける」「ここが限界」という判断基準が自分の中でできた。

また、自分にマッチするトレーニングに出会えた幸運があった。あれは2年目のオフでした。当時就任された石井浩郎2軍監督の紹介で、あの野茂英雄さん(当時ドジャース)がやっている練習に行ってこい、と。世界の第一線で戦ってきた野茂さんとご一緒させてもらい、本当に勉強になりました。

野茂さんのトレーニングの集中力というものは、とにかくすごい。それを肌で感じさせてもらい、当時の僕からしたら脳天突き抜けるくらいの衝撃を受けました。節目節目では助言をいただきました。若い頃は「しっかり野球に集中しなさい。野球にすべてを費やしなさい」と。お金も時間も野球のために使って、ええかっこする選手になるなよと。ここ5年くらいは「栗ちゃん、焦ったらアカンぞ」。見透かされたように核心を突いてくるので、突き刺さる言葉ばかり。まさに王道やと思う。

西武一筋とよく言われますが、これは自分が選んだ道。ライオンズが好きで、所沢が好き。野球やるには、これ以上ない環境ですから。なんとかチームの力になりたい、と。FA(フリーエージェント)権取得もありましたけど、自分は自分の道を生きていくんやと、決めました。いつの間にか、所沢が心落ち着く第2の故郷になっていて。そんなつもりはなかったんですけどね(笑い)。

あのグリーンジャケットを着させてもらう場面を夢見てきました。名球会入りを象徴するシーンじゃないですか。今でも自分には想像できないけど、鮮明に思い浮かぶのは阿部慎之助さん(現巨人2軍監督)が達成されたときに長嶋さんが贈呈されたシーン。ニュースで見てすごい鮮烈でした。あるとき家で長男が突然言うてきたんですよ。「パパ、2000本はいつ達成するの?」って。何も言ってなかったのに。嫁さんに聞いたらプロ野球ニュース見て知ったみたいで。なんとか達成できて、父親の威厳を守れました(笑い)。

その家族よりも長いこといるといえばサンペー(中村剛也)ですよね。同い年で今年で20年。プロ野球でもなかなかないと思う。けど、心の支えになっているわけでも、刺激があるわけでもない。よく聞かれるんですけど、言葉ではなかなか言い表せない存在なんです。答えが見つからないので、今後の課題にしたいと思います(笑い)。

2000本はあくまでも通過点やと思っているんです。「栗山は当たり前のように2000本を打った」と思われるように、これからも頑張っていきたい。達成した今、そう思っています。(西武ライオンズ外野手)