オリックス宮内義彦オーナー(86)が21日、京セラドーム大阪で記者会見を開き、今季限りで退任することを明らかにした。昨季25年ぶりにリーグVを果たしたことで区切りとした。88年に阪急買収に伴いオリックス球団のオーナーに就任して33年。現12球団のオーナーでは最年長で、在任期間も最長。後任はオリックス本社の井上亮(まこと)グループCEO(69)が就任予定。名物オーナーのためにも、今季こそ日本一を狙う。

【名言迷言?】退任発表のオリックス宮内オーナー、厳しさと愛の語録を再録

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宮内オーナー一問一答 -球団を持った経緯

阪急から球団買収させてもらってオーナーに。強いチームを頂き、受け継いだのが幸いだった。その流れで95、96年に仰木監督でリーグV、日本一になれた。

-近年は低迷

思い起こせば、そこから25年間、優勝から見放されるとは知らず…。強い体質だったのが、低迷が続くとマンネリもした。

-阪神・淡路大震災もあった

今こそ神戸でやらないと意味がないと。地方球場での開催も検討されてましたけど、ふと思った。お客さんが入らなくてもいい。ここで、神戸でやることに意味があるんだと。結果的に、すごく多くのお客さんに神戸に来てもらいましたよね。

-野球が大好きだ

コロナ禍になるまでは海外にもよく行くことがありました。パ・リーグTVは、これまでなかったファン層を獲得することに成功している。地の果てに行っても、iPadがあれば、試合が見れる。(試合の)時間になれば、見ていましたよね。なんで、こんなところで野球を見ているんだ! ってね。近代文明はすごいですよ。

-中嶋監督が胴上げに導いた

プロフェッショナルな監督。コーチ経験が長く、指導者としてのベースを守ってきた。選手としても、指導者としても教育を受けてきた。2軍の選手をよく知っていたのが大きい。他の人では、ああいう引き上げはできない。ベースとバックグラウンドが合致していた。勝つことの素晴らしさを教えてくれた。

-山本、吉田正が投打の軸

(山本は)7色魔球の現代版。1つ1つの完成度が高い。きっちりコントロールもされている。(吉田正は)大けがが、お気の毒だった。まだまだ伸びるんじゃないかな。(2選手とも)ずっと(オリックスに)いるという前提で考えております(笑い)。

-イチロー氏と連絡は

ここ最近はありませんが、彼はとても義理堅い。縁があって今でも付き合いがある。仰木監督の慧眼(けいがん)もあった。野球少年が立派に育ったなと。

〈宮内オーナーの歩み〉

◆ブレーブスを買収 88年10月、リース業界大手のオリエント・リース社長として阪急ブレーブスを買収すると発表。球団名は「オリックス・ブレーブス」。

◆神戸移転、球団名変更 91年から、本拠地を西宮球場からグリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)へ移転。チーム名を「ブルーウェーブ」に変更した。

◆ボーナス 94年に210安打して大ブレークしたイチローに、自ら1000万円のボーナスを贈った。

◆がんばろう神戸 95年1月17日の阪神・淡路大震災で球場施設も被災したが、移転後初のリーグ優勝。

◆初の日本一 96年は連覇を果たし、日本シリーズで巨人を撃破。地元神戸で胴上げされた。

◆近鉄と合併 04年オフに近鉄と合併し「オリックス・バファローズ」発足。初代監督に仰木彬氏を迎え「全力をあげて関西の野球ファンを魅了する球団に育てていきたい」。

◆合併後初優勝 中嶋聡監督のもと、合併後初のリーグ制覇。「今年をオリックス・バファローズの新しい元年として、このチームをさらに磨いていくのが次の課題と思っております」と常勝を願った。