1985年(昭60)の阪神リーグ優勝当日、大阪の道頓堀川に投げ込まれ、話題となったカーネル・サンダース像はその後どんな“人生”を歩んだのか。日本KFCホールディングス株式会社(本社・横浜市)に聞いた。

09年に川底から発見され、現在は一般非公開ながら「幸福の象徴」として関西オフィス(大阪市福島区)に在籍中。17年ぶり優勝を果たせば、ファンとの再会がかなうかも。【取材・構成=三宅ひとみ】

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今から37年前、阪神が21年ぶりのリーグ優勝を決めた85年10月16日。ケンタッキーフライドチキン道頓堀店にあったカーネル・サンダース像を阪神ファンが担ぎ出し、騒動が始まった。優勝に貢献したバースに似ていると胴上げし、近くを流れる道頓堀川に投げ込んだ。沈んだ銅像はそのまま行方不明になり、見つかることなく時が過ぎた。発見されたのは09年3月10日。大阪市建設局が水辺整備事業の一環で川底を調査していた際に上半身が見つかり、24年ぶりに帰ってきた。

発見当初はヘドロだらけで体にもひびが入り、世間に見せられる状態ではなかった。修復の専門家「文化財保存支援機構」に依頼し、ヘドロをきれいに落とす洗浄作業から、欠けた部分を新たに補う作業をていねいに行った。修復にもこだわり、新品に戻すと“24年の黒歴史”が反映されないため、あえてアンティーク調にコーディネート。約3カ月かけて修復が完了した。その後、金庫で保管され、09年9月に帰ってきた姿が公開された。

カーネルは甲子園にもやってきた。12年から13年まで、阪神甲子園店に展示し、ファンの聖地となった。そしてKFC本社社員からも「実際に見たい」との声が集まり、当時東京本社があった恵比寿のオフィスに展示した。反響は大きく、関西出身の来賓者の多くが「写真撮ってもいいですか?」と満面の笑みになったという。その後は関西に戻り、現在は大阪市福島区にある関西オフィスに「幸福の象徴」として展示されている。

「幸福の象徴」。それは24年ぶりに発見された時、体の一部は分裂してしまったり見つからなかったが、顔だけ無傷で笑顔のまま帰ってきたことに由来する。広報担当は「24年間も眠り続け、奇跡的に生還したことは非常に幸運なこと。そのことを表現するため幸福の象徴として名付けました」と説明。発見後は「ケンタッキー」が大々的に報道され、思わぬ宣伝効果も絶大だった。「当時、報道されたことで商品も多くの方に認知され、創業者の思いも伝わったと思います」。

現在は大阪オフィスで保管され、取引先などの来賓者が観覧できるように展示している。だが、一般には非公開。17年ぶりのリーグVがかなえば、再び甲子園に帰ってくるかもしれない。

◆カーネル・サンダース 本名ハーランド・サンダース。カーネルは米ケンタッキー州の名誉称号。1890年9月9日生まれ。1930年ケンタッキー州にサンダース・カフェを開設。52年以降チェーン化し、世界600店舗を超えた64年に経営の一線を退いた。80年、90歳で死去。人形は同氏60歳のころがモデル。