日本ハムは3日、今成泰章スカウトが2日に劇症型溶血性レンサ球菌感染症のため埼玉・朝霞市の病院で死去したと発表した。65歳だった。日刊スポーツ大阪版の13年12月10日付で、当時阪神で捕手としてプレーしていた亮太氏がスカウトの父を語っていた。記事を再掲する。(肩書は当時)

日本ハム今成泰章スカウト襲った劇症型溶血性レンサ球菌感染症とは? 人食いバクテリアとも>>

阪神今成亮太捕手(26)の父は日本ハムスカウトの泰章さん(58)だ。阪神、日本ハムのスカウトとして和田豊監督、ダルビッシュ(レンジャーズ)らの獲得に手腕を発揮した。プロ野球のスカウトは家庭でどんな父親だったのか。プロ入りを果たした息子が語る。【取材・構成=松本航】

高3のときプロを目指すと決めておやじに相談すると「やめとけ。大学に行ってこい」と言われた。僕は「なんでそんなことおやじに決められなきゃいけないんだ」ってなった。スカウト目線でそういう風に言ったのかな。最後だめだったら大学に行くって話をしたら最終的には「うーん」って。僕は「おやじがスカウトをしている日ハムだけには入りたくない」と思っていた。でも実際は日本ハムに入ることになって…。おやじは阪神から日本ハム。僕はその逆で、なにか縁があるのかなとは思う。

小さいころはおやじがスカウトという感覚はなかった。出張とかで半年いないこともあったけれど。阪神の時は担当していた選手がよく家に来ていた。関川さん(阪神打撃コーチ)とか田村勤さんとかが来たのは覚えている。そこにぼくがちょこんといた。プロ野球選手が家に来ているっていう感覚じゃなくて、でっかい人が家に来ているなという感じだった。

小学校から本格的に野球を始めると試合から帰ってきてよく報告させられた。今日の成績を伝えたあとに「状況を言え」と。ランナーとかカウントを言って内容を伝えて…そしたら「ふーん、そうか」って。打つ、打たないで怒られることはなかった。

小学校高学年からはおやじがたまに帰ってくると朝練をさせられた。おやじは朝起きるのが早くて4時とか5時に起こされた。それで「ランニングしてこい」、「バット振ってこい」と。帰ってきたら今度は「風呂入れ」。風呂入ったら「飯食え」って朝6時くらいからてんこ盛りのごはんを食べさせられた。野球に関しては後ろからただ見てるだけだった。プロアマの関係もあるし、おやじもそこは一線を引いていた。ただ小さいころに唯一、「お前がもしプロに入りたいんだったら、打つ、打たないじゃなく、スカウトは形を見ているから、そこを意識してやれ」と言われたのはすごく覚えている。

私生活にも厳しかったおやじだけど、年をとって兄貴に子どもができると丸くなってきた。厳しいことを言い続けたってことは僕に期待してくれていたんだと思う。今ではすごく感謝している。今年の父の日は一緒に買い物に行った。おやじも年をとって服装に気を使わなくなったから、「好きなもん買っていいぞ」って洋服着させて買ったりした。今後もなんらかの形で親孝行していきたい。

 

◆今成泰章(いまなり・やすあき)1955年(昭30)7月14日、東京生まれ。堀越-駒大。大学時代は捕手で卒業後の78年にスカウトとして阪神へ入団。99年から02年8月まではチーフスカウトを務めた。03年から日本ハムのスカウトを務め、主に関東地区や東北地区を担当。今季でスカウト生活は44年目だった。次男の亮太氏は日本ハム、阪神でプレーした。