通算2185安打を誇るヤクルト内川聖一内野手(40)が28日、神宮で引退会見を開いた。横浜(現DeNA)、ソフトバンク、ヤクルトを渡り歩き、輝かしい実績を誇る男が、22年間の現役生活に別れを告げた。以下、一問一答。

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(グレーのスーツ姿で登場)このたび、私内川聖一は22年間お世話になりました日本プロ野球の選手として引退を決断しました。プロ野球の世界に身を置かせていただき、22年間、野球をやらせていただき、ありがたい時間だったと思います。ありがとうございました。

-決断の経緯

入団したころから、プロ野球選手というのは必要とされないと。ここ何年間はそろそろかなと考えながら、もう1年できるという気持ちでやらせていただいたんですけど。自分の中で、そろそろNPBの第一線では厳しいなと感じてきました。その変化に対応しきれなくなったのも正直なところです。

-相談は

相談はしてないですね。相談したときに、必ず最後はお前が決断するんだと言われると思っていたので。引退を決断して、お世話になった先輩方、支えてくれた関係者の方々、両親、家族には報告しました。

-横浜で首位打者

その時代を振り返ると、こんなにバッティングで思い通りにいくことがあるのなかと(笑顔)。前の年まで規定打席にも乗ってない人間ですから。今思い出すのは、毎試合、球場のバックスクリーンに打率が出る時に『うわ、すげえな』と思ってました。

-両リーグ首位打者

毎年一生懸命やっていたので、タイトルをとれた喜びしかありませんでした。実感は全くありません。自分がすごいと思ったことなかった。

-ソフトバンクでは

本当にたくさんのことを経験させてもらった。3番から4番に移って、前の柳田が3割、30本、30盗塁。自分だけ置いていかれてている感じがしましたけど。他のメンバーにも恵まれましたし。本当にいい野球人生、プロ野球人生を送らせていただきました。

-WBCで世界一

無我夢中でしたね。WBCも3回出させていただいた。(1度目は)野手最年少で、本当に先輩についていくのに一生懸命。2回目はレギュラーとして、自分が中心として、という思いで臨ませてもらいました。ダブルスチール失敗は一生忘れられないプレーになりましたし。そういう思いを持って、3回目は代打で使っていただきました。いろんな立ち位置で代表。子供の頃から、君が代をいろんなところで聴いていた。日本を離れて君が代を聴いたときに、日の丸を背負うのはこういうことかと。

-ヤクルトでは

個人的にも、もうひと踏ん張りと思ってやってきました。ヤクルト球団には力を発揮できずに、申し訳なさは残ってしまった。思い切りやれる環境をつくっていただいたヤクルト球団には感謝しかありません。

 

-若い選手に

若い頃からこれ以上できないと思って、とことんやってきたつもりですけど、今思えば、もう少し出来たと、後悔の方が先にくるんですよね。今の選手の姿も見てますし、なかなか今以上やれとは言えないですけど。後悔のないように頑張ってほしいと思います。

 

-得に印象に残る1本、試合は

いっぱいありすぎて。その時々でいろんな思い出の場面があるので、正直決められないですけど、しいて感じたのは、08年に首位打者をとったときに、内海のシンカーをしっかりためて、ホントにバットとボールが食い付くような感じで二塁打を打ったんですよね。その当たりが首位打者をとらせていただいたと思ってますし、印象に残ってますね。

 

-次のキャリアは

僕の場合は生まれたときから父が高校野球の監督。野球にまつわることしかないくらい、野球人生をやってきましたんで。気が付いたら野球だった。40年は野球と関わって生きてきた人生ですので。僕自身を作ってくれた野球に感謝しなくちゃいけない。どのように野球に恩返しできるか考えながら、今後の人生をつくっていきたいと思いますし。自分の中でやれることの中から、選択するような形になると思うので。いろんな可能性は考えてます。指導者としてだけではなく、どんな形でもいいから、野球したいなと思うかもしれないですし。野球に対して恩返しできるようにやっていきたいと思います。

 

-2軍ではいい成績。まだ出来るのではという声も

う~ん…数字はね、2軍では残ってましたけど、やっぱりヤクルト球団にとってもらったきっかけは1軍の戦力というのが前提だと思っていた。1軍で結果出なかったのは事実としてありますので。

 

-WBC世界一の先輩として、後輩に助言は

野球をやることを、試合をやることを怖いと思ったんですよ。日本代表として。その怖さを教えてもらったことによって、さらに野球と正面から向き合うきっかけもらった。ぜひそういう舞台を経験してもらって。そこで感じたことを、これから野球界を背負っていく選手に伝わっていくと、もっともっと日本の野球界も盛り上がっていくと思います。

 

-指導資格回復は

現時点でどうするか分かりませんけど。プロアマ問わず、自分自身可能性を探っていきたいと思っていますので。現時点で必ずそれを取りますとは、分からないです。

 

-この2年。若い選手とプレーする中で考え方が変わったりはしたか

考えが変わったのはあんまりないですね。でも若い選手とやる中で、自分の衰えに逆らってやろうという気持ちにはさせていただきましたし。なるべく負けないようにというか。なるべく逆らってやろうかなと、まあ、楽しかったですね。

 

-謙遜しているが、右打者としてすごい実績を残した。反骨心やプライドは。

反骨心はなかったです。でも右バッターだから評価されるとは思ってました。右だろうが左だろうが、区別なく頑張ってました。これ反骨心かな? 右バッターだからこそ、プロ野球選手として評価されたと思ってますし。

 

-「NPBからの引退」と含みを持たせているが、独立リーグや海外などでプレーする可能性は

難しいね。体が今のところ、全盛期ではないですけど、2軍でも試合に出ましたし。少なからず野球ができるコンディションではありますし。プロ野球ってやっぱり成績を出さないといけないし。この40歳で野球をやってるのって、すごい楽しいんですよ。可能性としては、もう1回、違うカテゴリーになってもプレーしたいというのは正直なところです。そういう話がもしあれば前向きに考えたいと思いますけど、絶対ユニホーム着てプレーしたいとも言えないですし。絶対ユニホーム脱ぐともいえない。

 

-今は晴れやかな表情

引退するという決断をするまではすごく悩みましたけど、不思議と引退すると決めてからは、決めて良かったと思うことがたくさんあるんですよ。ワクワクしていることもありますし。生まれたときから父を目標にして、背中を追いかけてやってきましたし。父が法政大学、東京6大学でファーストを守っていた。その神宮をホームグラウンドとするチームでやれた。最後のご褒美としてやらせてもらったのかなと。

 

-最後はヤクルトで終われた

野球選手のとって何が幸せか。僕は3球団でプレーさせていただいて、それそれでいろんな経験をさせていただいた。勉強になりましたし。幸せだったなと

 

-後悔は

それはもっと練習すればよかったなとか、もっと早くレギュラーとれたなと。思うときはありますけどね。

 

-ヒットを打つためにと話していた。あらためてこだわりは

なんでもHランプがつけばいいと思ってました。Hランプつけるために90度使ったバッティングで、右打ちもうまいと。僕の野球人生、何でもHがつけばいいというのが。打ち損じがゴロになるんでけど。ヒットになる可能性がある。打ち損じでもなんとかヒットにしようというバッティングをしてきたんですよね。3番ではそれができたんですけど、4番になったときに、4番像に追いつかなかったり。柳田が前にいるので、今までは1個アウトだったのが、出塁率が高くて2回に1回、ファーストにいる。今まで自分が強みだったのが、アウト2つになってしまう。それは考えましたね。

 

-生涯打率3割2厘

何千打席か基準があるんでたっけ? その権利を得たことに関しては、ほんとに使ってもらった監督さん、コーチであったり、使ってくれた結果。3割にこだわるから引退ということはないですし。

 

-現在22位で23位が王さん

マジですか。それはちょっと申し訳ないな(笑い)。

 

-何でも王会長を1つでも超えるのはすごいこと

超えたとは思ってないですけどね。でも数字が1つでも上にあるのはありがたいというか。すごくうれしいなと思いますね。

 

-村上選手が野村さんに会ったという2日前に内川さんとも会っているというが、それは覚えている

覚えてますね。申し訳ないくらいの表現でほめていただいたんですよ。大先輩の方から。マジかと思ったのを覚えてます。そのテープ欲しいなと。

 

-一番悩んだのは

それぞれの立場でいろいろ悩みましたね。最初ショートで入ってきて、イップスになって……。一番、野球の基本はキャッチボールっていうんですよね。野球教室とかで、そのキャッチボールができないときに、自分はプロ野球選手っていえないよなと思ったんですよね。レギュラーとってからはレギュラー守らなきゃいけない苦しみと。最後は現役をどう、NPBでの野球人性を幕を引くのか悩みましたので。いろいろありましたね。

 

-ソフトバンク時代などに得たものなど

勝つことの喜びって、輪が広がっていくんですよね。勝つことでファンの方も喜んでくれる。すごく大きな輪になって喜び合える。このヤクルトで2年連続優勝を経験させていただいて。そういう喜びを、経験させてもらったことはチームメートに感謝しないといけないと思います。

-九州で第2の人生の可能性は

ゼロではないでしょうね。そういう気持ちもなきにしもあらずという感じです。