プロ野球選手の1年が始まり、それぞれの思いでキャンプインへ備える。昨季3勝11敗のロッテ小島和哉投手(26)も巻き返しに懸命だ。浦和学院、早大と王道を歩んだ左腕には“野球の父”がいる。小学生時代から毎年、グラブを型付けしてくれる渋沢孝郎さん(49)に、この年末年始も商売道具を預けた。強気に攻める-。力投を支える青いグラブの原点に潜入した。

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小島は苦しい場面を切り抜けると、青いグラブをパーンとたたく。野球人生の原点は黒いグラブ。恩師の渋沢さんが懐かしむ。

「最初は新垣渚モデルが欲しいって、両親に買ってもらったのかな。和哉はそれを『型を付けてください』って持ってきて」

埼玉・鴻巣の少年野球チーム時代の指導者だ。付き合いはもう15年以上。年末に「今年もお願いします」とグラブを渡される。

型を作る-。小島も恩師を信頼するからこそ、大事な作業を託す。「最初から使いやすいのがメリット。硬い状態から使わないので、指の腹の部分が飛び出ないし、型崩れしないんですよ」。渋沢さんは型を作るメリットをそう話す。

まずはぬるま湯へ。「熱いお湯だと色抜けしちゃう」。15分間漬けて、もんで、ポケットを作って陰干しする。「和哉のゴロ捕球のクセも意識しながらね。親指以外の4本でつかむタイプ。小学生の時から変わってないですよ」。1週間から10日ほどの工程。教え子のグラブをバケツに入れ、ハンガーで干すのが渋沢家の年末年始の風物詩だ。

「水抜けが遅い年もあります。でも半乾きでは返しません。指の腹が出ちゃうから。でもあいつ、まだ使うなって言っても、絶対使うんですよ(笑い)」

小島家にも仕事帰りによく通った。「せがれが和哉とバッテリー組んでたから、2人で行ったり。フォームもけん制球の顔振りとかもすごく教え込みました。少年野球=盗塁、のイメージじゃないですか。盗塁させてたら絶対に勝てないなと思って」。小学生にして“刺せるけん制球”を習得。今もなお、苦しい場面でけん制死を奪える技術の原点になっている。

グラブに限らず、小島は今でも恩師に相談する。「子どもの時に、野球の面白さや楽しさをたくさん教えてもらって。投げ方も渋沢さんの指導しか取り入れてなかったので。渋沢さんがいなかったら、野球じゃなくて水泳してたかも…ですね」と感謝する。部員不足だった少年野球チームで、野球仲間を集めてくれたのも渋沢さんだった。

今年のグラブにも、恩師の技が詰まった。いつものように小指部分のヒモをダラーンと伸ばすのは「指の間を緩めたくないから」という小島自身のこだわり。流れを変えたい-。今年は楽天則本のように、名前を漢字で縦書き刺しゅうにした。「プロ1年目のグラブは野球殿堂博物館に飾られたんですよね」。胴上げ投手のグラブとして再び展示される日を、地元から夢見ている。【金子真仁】