中日で外野手として活躍し、監督も務めた中利夫(なか・としお)さんが10日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため名古屋市内の病院で死去した。87歳。前橋市出身。通夜、葬儀は近親者で執り行った。14日に球団が発表した。

55年に群馬・前橋高から中日入り。60年には50盗塁、67年には打率3割4分3厘でタイトルを獲得した。高木守道との1、2番コンビは、他球団の脅威となった。通算81三塁打は現在もセ・リーグ最多と、俊足巧打の外野手として一時代を築いた。72年引退。通算1877試合出場で1820安打、139本塁打、541打点、打率2割7分7厘、347盗塁。ベストナイン5度。

引退後はコーチに転じ、78年から3年間監督を務めた。小松辰雄を抑えに抜てきし、快速球投手に育てるなど手腕を発揮した。79年には新人王となる藤沢公也の活躍もあり、3位ながら優勝の広島を追い詰めた。監督通算157勝204敗29分け、勝率4割3分5厘。また87~90年には広島のコーチや2軍監督を歴任。同球団のOB以外では、異例の起用となった。

評論家として活動した当時は、担当外の試合でもナゴヤドーム(当時)に毎試合のように通い、一塁側ボールボーイの椅子に腰かけ練習を見つめた。古巣への愛情あふれる解説と、笑みを絶やさない優しい人柄で球団内外から慕われた。

 

◆中利夫(なか・としお)1936年(昭11)4月28日生まれ、群馬県出身。前橋高では、東大受験と迷った末にプロ入り。60年盗塁王、67年首位打者。中日一筋でプレーし72年引退。現役時代の登録名は64年「三夫」65年以降は「暁生」。通算1820安打は球団7位、347盗塁は同3位。引退後は中日コーチや監督、広島でもコーチを務めた。現役時代は168センチ、73キロ。左投げ左打ち。

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