横浜(現DeNA)、中日で通算2108安打を放ち、リーグ優勝5度、日本一2度、中日監督も務めた谷繁元信氏(53=日刊スポーツ評論家)が18日、プレーヤー表彰により野球殿堂入りを果たした。出場3021試合、うち捕手として2963試合は、ともにプロ野球史上最多を誇る。誰よりもプロの投手の球を受けた谷繁氏が現役時代を振り返り、自らの「ベスト配球」を選んだ。98年横浜、07年中日と、それぞれ日本一に輝いた日本シリーズ最後の1イニングを挙げた。

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勝って涙した試合は1つしかありません。横浜時代の98年10月8日、甲子園での阪神戦。新庄を空振り三振で初のリーグ優勝を決めました。期待されても数字が出ず、谷繁のキャッチャーはダメだと言われ、それでも指導者の方たちの支えで徐々に力をつけ、8年目でレギュラーになれた。もっと評価されるには勝たなきゃいけない。優勝しかない。10年目で果たし、込み上げるものがありました。

ですが「ベスト配球」となれば、最終目標である日本一を達成した日を挙げたい。その年の西武との日本シリーズ第6戦の9回。佐々木さんと組みました。1点リードの1死一、二塁で金村さんを初球145キロで二ゴロ併殺でした。

最後は1球でも、簡単ではなかった。先頭の大塚さんは、フライがレフト(鈴木)尚典の目に照明が入る不運で三塁打。でも2点差。1人ずつアウトにすればいい。ペンバートンは狙い通りフォークで空振り三振。ただ、次のマルティネスの四球が痛かった。佐々木さんも力んだのでしょう。嫌な流れを感じました。

予感は当たります。中嶋さんには初球で三ゴロを打たせたが、進藤さんが二塁送球。バウンドが高かった分、セーフ。1点差とされ、なお1死一、二塁です。

それでも同点、逆転されるとは思わなかった。野選の瞬間、次のことを考えた。金村さんは低めを拾うのがうまい。フォークで球数を要するより、早め勝負の外角直球で二ゴロで併殺が取れる-。少し甘かったですが、イメージ通り。たまたまではありません。「よし」という感じでした。

5年目にバッテリーコーチで来られた大矢明彦さんに「スコアブックを見ずに1試合分の配球を言えるように」と言われました。最初はできなくても訓練で覚えられた。全ての積み重ね。その結果の日本一です。

もう1つの「ベスト配球」は中日時代、07年の日本ハムとの日本シリーズ第5戦の9回です。完全を続ける山井から岩瀬への継投は、いろいろ意見が出ました。私は完全試合の意識は正直あまりなかったし、交代はベストな選択だったと思います。あの状況で投げきった岩瀬は相当すごい。山井とともに思い通り応えてくれた会心の試合でした。

9回、先頭の金子誠はスライダーで空振り三振。高橋は外甘めが得意。内にスライダーを続けた。4球目が少し甘く一瞬ひやりとしましたが、広いナゴヤドームでは左飛でした。

体に近い方に打つゾーンがある小谷野は、5球全て外のシュート攻め。岩瀬と言えばスライダーですし、前の2人には最後にスライダーを投げている。小谷野はその意識があるはず。実際2球目はスライダーを意識した開き気味の見逃し方。ヤマを張っている。それを外して打ち取るしかない。2ボールとなりスライダーも考えましたが、私も岩瀬も強い気持ちでいきたかった。最後に逃げて打たれるよりもと、シュートを続け二ゴロを打たせました。

どちらも日本一ですが、心境は違いました。98年は初めての日本シリーズで、お祭り気分。負けるはずがない、勝てると。楽しさの中に冷静さがありました。

07年は勝てるではなく、勝たないといけない。02年から中日に移り、04年、06年とリーグ優勝しても日本シリーズでは勝てなかった。1つのミスや迷いが出ると勝てないと思い知らされた。98年は9回に守備の乱れが2つ出ても勝ったのにです。日本シリーズの負けを知って臨んだ07年でした。しかも、前年に敗れた日本ハムが相手。中日はリーグ2位から勝ち上がったこともあり、もう日本一を取るしかない気持ちでした。達成し、やっとチームに恩返しできたと思いました。

リードで大事にしていたことは年齢や成長度合いで変わっていきました。「リードとは」から始まり、打者の弱点を突くようになり、投手の長所を引き出すようになり、さらに「捕手谷繁」のクセを武器に使う。打者主体すぎて打たれたり、投手主体すぎて投手が成長しなかったりもありながら、年数につれ周りがさらに見え、投手のことも分かるようになった。最終的には、全てをミックスして導き出すようになりました。

その成長を引き出してくれたのが、日本シリーズという大舞台の経験です。10年、11年は壮絶な戦い。日本一にはなれなくても、07年よりも状況を把握してプレーできました。27年間で6度出場し優勝2度。勝率は高くなくても、所属した両チームで日本一を味わえました。ファンの皆さんの喜ぶ姿も忘れられません。いい現役生活でした。