夏真っ盛りの甲子園に快記録が生まれた。鹿児島実の杉内俊哉投手(3年)が八戸工大一(青森)相手に1四球の走者を許しただけのノーヒットノーランを達成した。138キロの速球と大きく割れるカーブで16奪三振。身長173センチの左腕が第69回大会(1987年=昭62)の帝京・芝草宇宙(現日本ハム)以来11年ぶり、史上21人目(22回目)、鹿児島県勢としては初快挙だった。杉内は大会11日目に、この日、柳ケ浦(大分)を破り春夏連覇へスタートした横浜(東神奈川)・松坂大輔投手(3年)と相まみえる。

 強気の心臓も、いつになく鼓動が速まっていた。杉内は額から噴き出る汗を、帽子を脱いで丁寧にふきとってから一息ついた。あと一人。こん身の力を込めた104球目の直球は遊撃へのハーフライナー。小倉のグラブに収まるのを見届けて、両腕を甲子園の青空に突き上げた。四球1個だけの完ぺきな投球で、11年ぶり21人目のノーヒットノーラン。「8回から意識したけど、まさかできると思わなかった。制球に気をつけて、最後まで強気で投げたのがよかった」。マウンドで一度も表情を変えなかった端正なマスクに、ようやく白い歯がこぼれた。

 縦に鋭く落ちるカーブが、偉業を支えた。苦手な立ち上がりをいきなり4者連続三振。直球、カーブを中心とした単純な組み立てながら、4回までで10奪三振。9回までにスコアブックに「K」マークを16個並べた。そのうち10個を、カーブで奪った。「杉内のカーブは教科書通りの基本的な握り。肩とひじが柔らかいので、あれだけの切れが生まれます」。竹之内和志コーチ(33)が天性の素質を証言した。女房役の森山も「右打者への内角低めのカーブは、これまで打たれた記憶がありません」と話した。

 常に三振を狙っている。いつも試合前は「27三振の完全試合をするぞ」と宣言してマウンドに上る。ベンチに戻るたびに、三振の数を確認。投手としてのこだわりだった。「三振をとるのはあこがれです。追い込んだらいつも狙っています。カーブが一番多いです」。鹿児島県大会でも47回2/3で64三振を奪っている。南国の「ドクターK」は甲子園でもいかんなく実力を見せつけた。

 陰で支えてくれた母へささげる勝利でもあった。この日は、母真美子さんの39歳の誕生日。母は杉内が妊娠9カ月の時に離婚し、父の顔も知らないまま育った。大野小1年で反抗期を迎えた。杉内は家の窓ガラスなどをたたき割った。「当たるところがなければ、自分の胸をたたかせていました」。母の大きな愛情に包まれて、杉内は成長した。

 この日が誕生日だと3日前の電話で思い出した杉内は、普段より一層気持ちを奮い立たせた。「母には今まで好きなことをさせてもらいました。この記録は最高のプレゼントになります。ウイニングボールも後で母に渡します」。ウイニングボールは大会期間中、甲子園のタイガース史料館の「ドラマチック甲子園」で展示された後、杉内の手に返る。

 常に「全国NO・1左腕」と自己暗示をかけてきた。この日も帽子のつばとボタンの裏側に記していた。「次は松坂君が相手だけど、投げ合って勝ちたい」。センバツ優勝投手との対戦で「全国一の左腕」を証明する。【中森亮】【1998年8月12日付

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