DeNA中畑清監督(58)の仁美(ひとみ)夫人が5日午後6時5分、子宮頸(けい)がんのため東京都内の病院で死去した。59歳だった。中畑監督が駒大時代に出会い、巨人入団1年目の1976年(昭51)オフに結婚。常に明るく同監督を支え続けてきた。今年3月に悪性の腫瘍が見つかり、入退院を繰り返しながら病と闘っていた。この日は、中畑監督がDeNAからの就任の要請を受けると決断した日から、ちょうど1年だった。

 中畑監督は都内の自宅で、目を真っ赤にしながら言葉を絞り出した。「俺が踏ん張って、お母ちゃんに2度ぼれしてもらえるように頑張ろうと思う。俺の人生の監督だった」。

 仁美夫人は11月6日から始まったDeNAの奄美秋季キャンプ直前に都内の病院に入院した。同16日に容体が悪化し、中畑監督はキャンプ終了を待たず同17日に緊急帰京した。ファン感謝イベントが行われた同23日からは病院に寝泊まりして寄り添ったが、回復への願いはかなわなかった。

 春季キャンプ中の今年2月下旬、子宮に腫瘍があることが分かったという。除去手術は無事に終了したが、3月中旬に、検査では発見できなかった悪性腫瘍があることが伝えられた。すぐに入院し、放射線治療を開始したが、転移が進み、入退院を繰り返していた。

 11月に入ってからの入院中も、仁美夫人は中畑監督がキャンプに集中できるように気遣っていた。同20日には、監督就任で延期されていた長女恵さんの結婚披露パーティーを自ら提案して開催。自力で歩くことが困難だったが、満面の笑みを見せたという。しかし、その日の夜に容体が悪化して入院。翌21日は仁美夫人の59歳の誕生日だった。

 同30日、中畑監督は涙を浮かべながら「今日、初めてもっと生きたいって言ったんだよ。もうたまらなかった」と話した。覚悟は決めていたのかもしれない。それでも初めて口にした夫人の願いに、涙をこらえることができなかった。

 プロ前から中畑監督を支えた仁美夫人。これからは天国から見守り続ける。<現役監督夫人の死去>

 ◆星野仙一監督(中日)97年1月31日早朝、扶沙子夫人が51歳で死去。8年に及ぶ白血病との闘いの末、肺出血のため愛知県内の病院で亡くなった。同監督は当日、気丈にも新たな本拠球場ナゴヤドームの視察を予定通りこなし、帰宅するとユニホーム姿のまま霊前に立ち尽くした。

 ◆王貞治監督(ダイエー)01年12月11日、恭子夫人が胃がんのため都内の病院で死去。57歳だった。夫人は98年に手術をしたが再発。夫人の病状を伏せたまま指揮を執っていた同監督は「もっともっと長生きしてほしかったけど、病気には勝てなかった」。