札幌学生野球連盟所属の北翔大は11月30日、江別市内で会見し、プロ野球中日で外野手として活躍後、スカウトやコーチも歴任した谷木恭平氏(66)が、来年1月1日付で野球部監督に就任することを発表した。大西昌美現監督(54)は今後、部長としてサポートする。

 「引き受けるからには全力投球。これまでの知識を部員に教えたい」。谷木氏は力強く抱負を語った。札幌市内で経営し、30年来、多くの人に愛された飲食店「おでんの一平」を11月22日に閉めた。何ごとにも徹底的に取り組み、中途半端にしないポリシーを持つ同氏らしい決断。最後の野球人生に懸ける。正式には来年1月の始動となるが「冬場は走ることに重点を置いてみたい」と走力アップを目指す。

 北翔大の部員数は120人を超える。大西監督は5年前に体調を崩し、技術や就職指導を含めた監督業をまっとうすることが厳しくなった。相談を受けた谷木氏は「本当はやりたくなかった」と冗談を口にしたが、約30年の親交がある同監督の要請を断れなかった。「大西先生とは野球観が同じなので、選手も戸惑いはないでしょう」。今後は役割分担しながら、同じ土俵で野球部を育てる。

 北海高時代は甲子園に3度出場。準優勝した63年センバツでは、1試合5盗塁の大会記録を含む9盗塁をマークするなど“北海のサラブレッド”と呼ばれた。立大、新日鉄室蘭、中日と豊富な野球経験を持つベテランが、66歳にして初めて「監督」としてユニホームを着る。「早く、神宮でやりたいね」。そのときまで、大西監督との握手写真はお預けにした。【中尾猛】

 <谷木恭平氏の一問一答>

 -監督就任会見に臨んだ今の気持ちは

 谷木氏

 正直言って、不安です。これまでも大学野球は見てきましたが、采配を振るということになれば、また違います。下手なことをしたら、何を言われるか分からない。監督には向いていないんです。でも、やるからには選手が良いプレーヤーになるよう、持っているものを出したい。

 -何が決断させたのか

 谷木氏

 僕には、頼まれて断れない人が3人いるんです。大西先生もその1人。北海高野球部監督をやっていただいたころからの長い付き合いで、うまくやられました(笑い)。それに野球を長くやってきましたから、恩返しです。女房からは「また野球ですか」と言われましたけど…。中日の高木監督にも「お前がか?」と言われました。

 -目標は

 谷木氏

 神宮と言いたいですが、選手には野球の楽しさを分かってほしい。ほかにもっと面白いものがあるこういう時代に、野球に取り組む若者がいることがうれしい。

 ◆谷木恭平(たにき・きょうへい)

 1945年(昭20)11月12日、札幌市生まれ。札幌豊水小から北海中、北海高。63年春の甲子園では「3番中堅」で準優勝。立大では65年秋のリーグ戦で首位打者を獲得した。68年に新日鉄室蘭入りし、72年ドラフト3位で中日に入団。2年目の74年に「2番中堅」に定着し、同年のリーグ優勝に貢献。プロ8年間の通算成績は737試合、1377打数355安打93打点、21本塁打、48盗塁、打率2割5分8厘。80年の現役引退後は札幌市内で飲食店を営みながらスカウト、94~95年は中日の1軍外野守備走塁コーチを務めた。妻と2人暮らし、長男と次男は独立。

 ◆元プロと大学野球

 指導者になるにはプロ退団後2年を経過し、かつ日本学生野球協会の許可が必要。これまでに総監督1人、監督19人、コーチ31人が大学野球に携わった。元広島監督で日本一3度の古葉竹識氏は09年に東京国際大監督に就任し、今年の全日本大学選手権4強入り。東映と巨人で活躍した高橋善正氏(プロでの登録名は良昌)は08年から中大監督、元中日江藤省三氏は10年から慶大監督を務めている。道内では元巨人の中山俊之氏が08年函館大コーチ、元米独立リーグ選手の石田威仁氏が昨年、旭川大コーチ登録し、今春から同大監督に就任。