「正直『サッカーでしょ?』っていう感じなんでサクッとやっつけちゃう」

僕が2月16日に行われた格闘家としてのプロデビュー戦「RISE FIGHT CLUB」で勝利できたのは、対戦した相内誠選手のこの挑発があったから。僕自身がなめられたりバカにされることには、もう慣れている。自分のことは何を言われても意に介さず突き進むことができる。

しかし、今回は僕だけでなく、サッカー界そのものへ向けられた言葉だった。小さい頃からサッカーが大好きで、40歳になってJリーガーを目指した男には強烈すぎる一言である。これは誰に頼まれたわけでもないが、その瞬間に僕は「絶対に負けられない戦いがそこにある」の当事者になった。

実は昨年末、12月25日から39度の高熱に2週間以上うなされていた。コロナかと思い、病院に行き、PCR検査を受けたが陰性。原因不明の高熱が毎日僕を襲い続けた。

その時にふと思った。20年末のJリーガー引退時に公言した21年大みそかのRIZIN出場の夢が絶たれ、緊張の糸がプツンと切れてしまった瞬間に、全ての細胞が僕を守ることを放棄したんだと。この高熱は張り詰めた肉体と精神が限界を迎えた代償だったのだ。

やっと回復したのが、今回出場した大会の記者会見1日前。体重は4キロも落ちた。その状態での記者会見は正直不安だった。戦闘モードになれていない自分を見透かされるわけにはいかない。そんな中で、相内選手からの「正直、『サッカーでしょ?』っていう感じなんでサクッとやっつけちゃう」これにはスイッチが入った。その場でどうこうできるものではないので、冷静に僕は僕のスタイルを貫き通したが、久しぶりにはらわたが煮えくり返った。

そこから高熱で止まっていた2週間のダメージを取り戻す日々は本当にきつかった。同じ小比類巻道場でトレーニングするRISEの京介選手(24)とスパーリング10ラウンドを3日間続けた。体はボロボロ、精神は追いつかない。これで本当にプロのリングに上がれるのかと不安もよぎった。

しかし、やるべきことは決まっていた。自分の人生に圧倒的な当事者意識を持つ。やらされている練習など存在しないし、誰かに左右される人生などない。全ては自分で選択して、判断して、実行することこそ人生の醍醐味(だいごみ)であり、それが僕にとっての「幸せ」の定義でもある。

どんなに苦しくても、どれだけ辛くても、朝起きてベッドから出られないくらい身体が痛くても、僕は前を向いて戦うことを放棄しなかった。それはきっと、21歳の時にサッカーのプロテストを受けて、自らその瞬間を放棄してしまったことが今でも頭と精神に焼き付いているからだと思う。

評価は他人がするもの。自分にできるのは評価ではなく表現。本気なのかどうか。本当に手に入れたいのかどうか。限界スレスレにはそんな問いかけが待っている。それを迷いなく手に入れたいと即答できる熱い思いだけが本気を証明してくれる。

僕らは他人の評価のために生きているわけではない。自らに足で1日1歩、自分の足跡をつけているかどうかが大切なんだ。365日生きてきたとしても足跡のついている日数が20日では意味がない。365日全てに自らの足跡をつけるには他者評価など気にせず、自分の本気と向き合えるかどうかだ。

だから僕は、言い訳になりそうなものを全て消す。ありとあらゆる負けた時の原因を洗い出し、全てにチェック項目をつけるように練習と普段の取り組みでつぶしていく。言い訳ができない最高の状態を肉体としても精神としても環境としても作っていく。それが本気を表す唯一の方法だ。

あの記者会見から1カ月。新宿FACEで僕はプロのリングに上がった。44歳の最年長プロデビュー戦。緊張はすさまじく、水を飲んでも口が渇いて仕方なかった。加えて元野球選手と元サッカー選手の異種目対決と注目された僕らの試合はセミファイナルに置かれている。デビュー戦ながら僕の鼓動の早さは尋常ではなかったはずだ。

それでも自分の出番となり、いざ入場となればそんな思いもどこかに吹き飛んでいった。いつも入場曲に使わせて頂いているサンボマスターの「できっこないを やらなくちゃ」がかかった瞬間、僕は叫び散らしていた。そして全てを思考から肉体に移行し、精神を安定させ肉体に委ねた。

リングで相内選手と向き合った瞬間に僕は動物となった。本能で動く。脳みそは最後。身体が何を感じ、どう動きたいのかに任せる。その動きを脳が感じ取り判断する。大事なのは肉体の反射と反応。積み重ねてきた練習が僕の自信になっていた。

アマチュア大会を含め、今回で4試合目。今までで一番緊張したが、始まってみると、どの試合よりも冷静だった。それは日々の練習があったからこそだと思う。報われない努力はあるが、自分にうそをつく努力はない。「自分の人生を信じる」とはこういうことだと思う。

僕らは自分で自分の人生を思うように切り開いていくことができる。それを疑うことなく挑戦できるかどうかで物事の行先は大きく変わる。いや、挑戦しなければ何も変わらない人生になってしまうのかもしれない。挑戦が全てではないが、どこかで「このままでは良くない」と思っていることがあれば、それが暗示のように自分を苦しめてしまう。

大事なのは「行動」ではなく「即行動」。動かなきゃと思っているうちは一歩が踏み出せない。即行動をして「さてどうしよう?」と考える時、人間にしかできない最高の発想、想像が生まれると僕は思っている。

極限の状態に追い込むからこそ、細胞が動きだす。安全安心で寝ぼけている細胞をたたき起こそう。それはことの大小ではなく、自分の人生に圧倒的な当事者意識を持つことから始まる。

右手を高く突き上げて、手のひらを思いっきり広げよう。手にしたい何かをつかみ取ってそのまま胸にしまい込もう。自分にうそをつかず、自分の人生のリーダーになれ!

3、2、1、バモー!!(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「元年俸120円Jリーガー安彦考真のリアルアンサー」)

◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結んだが開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退し、格闘家転向を表明。同年12月には初の著書「おっさんJリーガーが年俸120円でも最高に幸福なわけ」(小学館)を出版。オンラインサロン「Team ABIKO」も開設。21年4月に格闘技イベント「EXECUTIVE FIGHT 武士道」で格闘家デビュー。初戦、8月27日の第2回大会と2戦連続でKO勝利し、12月10日の第3回大会も判定勝ちで3連勝中。22年2月16日にRISEでプロデビューし、初勝利を挙げた。175センチ、74キロ。