当時21歳の俺の相手は高校生。清水エスパルスでのトライアウトは最悪な形で終止符がうたれた。ブラジルで前十字靱帯(じんたい)を断裂して帰国し、リハビリと厳しいトレーニングを乗り越え、やっとつかんだプロテストのチャンス。高校生の時にブラジルに行ってから、いや、小学校6年生の時に卒業アルバムに将来の夢を書いてから、やっと訪れた千載一遇のチャンス。

しかし、そのチャンスは自分の未熟さと愚かさであっという間に手元からすり抜けていってしまった。30分3本。これはテスト生に与えられた時間だ。僕は当時、左サイドバックだった。ブラジル時代に培った攻撃力とクロスの精度。そして上下動を何度も繰り返すそのスタミナがブラジルでも評価され、プロ契約までいった。

そんな自分には自信があった。あの世界一とも言われる国でプロ契約まで行ったんだ。しかも練習試合の相手は高校生。プロになるのにこんなにそろった条件はない。開始早々、ボールが僕に回ってきた。練習生がいきなりパスを受けるのは珍しいが、空気感で信頼を得ていたのだろう。パスを受けた僕は早速、勝負を仕掛けた。

その瞬間に相手選手に当たり負けをして飛ばされたのを今でも覚えている。身体の右側に感じたあの感覚は一生忘れない。気を取り直してもう1度ボールを受けるも、先ほどの当たり負けが早速トラウマになり、若干怯んだボールの受け方をしてしまう。その結果、クロスボールを蹴るところまでは行けたが、ボールはゴールのはるか裏へと飛んで行った。

そして3回目のチャンスではトラップミスをして決定機を作れなかった。そこからはもう地獄の時間が始まる。ボールを受けるのも怖くなり、できるだけプレーに関わらないようにする自分がいた。しかし、テストである以上、存在感は示さなければならないので、味方の影に隠れたり、パスが通らない場所にポジションをとって、とにかく大きな声でボールを呼ぶことだけは繰り返していた。それは1本目の10分も経たない間に起きた出来事だ。

その時の僕の思考は、とにかくこの時間を早くやり過ごし、2本目からスイッチを入れ替えることに注力していた。1本目が終わり、一度空気感を変えるためにストレッチをしたり深呼吸をして切り替えた。

いざ2本目が始まるとき、監督に「アビコ」と呼ばれ一言…「終わりだ。ジョギングをしてシャワーを浴びていいぞ」。これを書いている今も恥ずかしさが込み上げてくる。グランドをジョギングしているとファンの方が「頑張ってください。サインください」と言ってきたので、「練習生なので」と伝えると「知ってますよ」と。僕は余計に恥ずかしくなり、結局サインをすることなくシャワーを浴びてその場から誰よりも早く帰ったことを覚えている。

今、思えば、声をかけてくれたファンの方は、純粋にサインを欲しかったのだと思う。それを僕は自分のいらないプライドで断った。ダサいし情けない。そしてもっともダサかったのはこの後だ。家に帰れば父と母が、友人が「どうだった?」と期待を込めて聞いてくる。それが苦しかった。そして僕が答えたのは、「俺はいいプレーができたけど、監督がどう思うかだからね」「若干調子悪かったからわからないよ」「エスパルスのサッカーが合わない」などなどご託を並べて壮大な言い訳を始めるのだ。

どれだけ他人をだませても、うそをついてる自分はごまかせない。どんな有能な詐欺師も自分だけはだませない。僕はそう思いながらも、虚勢を張り、ミエを張り、最高にうそをつきまくって恥ずかしくてダサい自分を維持した。その結果、うその重ね着が始まり、何かあるごとに弱みを見せることができない強がりな自分がいた。

腐ったプライド。それを手に握りしめていつまでも、捨てられずにいたんだ。そんなやつがプロになんかなれるわけがない。ダサくても、恥ずかしくても、それを受け入れて認めてそんな自分を超えていかなければ人間は育たない。

過去は変えられる。それは未来でかえるしかない。こうして今この話をコラムで書いているのは、未来を自分の手で変えたからこそ、「あの時はさ」と話せるんだ。

おっさんたちよ!どれだけダサくてもカッコ悪くてもいいから、自分にうそをついて虚勢を張るのをやめよう。SNSで悪態ついて挑戦している人の足を引っ張っても何の意味もない。何事も始めるのに遅いことなんてないんだ。気がついたその瞬間こそが「旬」であり、今を生きるチャンスなんだ。

僕はこれからもありのままの自分を表現して自分らしく生き抜いていこうと思う。全てを受け入れ挑戦をし続ける。それでしか人は成長しない!周りの目なんて気にせず、自分を信じた先にしか成功はないし、継続もない。

◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結んだが開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退し、格闘家転向を表明。22年2月16日にRISEでプロデビュー。プロ通算2勝1分け2敗。身長175センチ。

元年俸120円Jリーガーで格闘家の安彦考真
元年俸120円Jリーガーで格闘家の安彦考真