これを見逃したら後悔する。そんな思いが、人をある現場へと向かわせる。

8月18日、「RIZIN18」取材のため名古屋にいた私は、試合前にアートの祭典「あいちトリエンナーレ」の会場へ向かった。同3日に「平和の少女像」を含む「表現の不自由展・その後」の展示が中止となり、それに反対する複数の作家が自らの展示中止を申し出ている状況だった。ちょうどその日が彼らの作品を見られる最終日だったため、ミーハー心でのぞいてみることにした。

昼前、「あいトリ」の玄関口である愛知芸術文化センターに入ると、既にたくさんの観客でにぎわっていた。ひときわ人が集まっていたのはパンフレットの表紙を飾るスイス生まれの作家ウーゴ・ロンディノーネの展示ルーム。「孤独のボキャブラリー」と題したその作品は45体のピエロが目を閉じ、人間が24時間内に行う45のポーズを示したもの。彼も展示中止を希望する1人だったため、その限定性を求める高揚感が部屋に漂っていた。しかも、この展示はいわゆる“映える”スポット。老若男女がピエロの写真を撮りながら、思い思いに楽しんでいた。(注、その後ロンディノーネは展示続行を決断)。また、作品が撤去された「表現の不自由展・その後」の暗い部屋の前では多くの人が中止を告げる説明表示を撮影していた。私もそうだが、実際に見て、誰かに伝えたいと願う人が少なくないのだろうと感じた。

1週間後、8月24日の大日本プロレス後楽園大会でも似たような、高揚した空気を感じた。この日のメインはマイケル・エルガンと関本大介の怪物対決。パワーファイターとして知られるエルガンは、今年3月に新日本プロレスを退団し、すぐ自身のSNSで関本との対戦を熱望。6月に2人の初対戦が決定すると瞬く間にチケットが売れた。そして迎えた当日。メイン以外のカードが充実していたこともあってか、バルコニー席だけでなく、入り口の南側に立ち見が出るほどの1740人の超満員となった。誰もが目撃者になろうとしていた。

熱気が立ちこめる中で始まったエルガン関本戦は期待を裏切らなかった。まず目を見つめ合い、ゆっくりと両手をつかむ。そのまま互いの力を確かめるように押し合うだけで緊張感が高まっていった。2人の巨体がぶつかると、バチッバチッという鈍い音とともに汗が飛び散る。ジャーマン、ラリアット、エルボーなどシンプルな技の攻防が続き、カウント2、ときに1で返す度に会場の温度が上がっていく。エルガンがバーニングハンマーで関本から3カウントを奪った瞬間、大歓声とともに何ともいえない幸福感が会場を包んだ。

この日は、プロレス界の生き字引である元東スポ記者の門馬忠雄さんも見に来られていた。「関本エルガンを見に来たんだよ。だって、分かりやすいでしょ」。分かりやすい、は門馬さん流の賛辞だ。体のでかい選手が体をぶつけ合う、シンプルで誰が見ても面白い試合。それがこの日の関本エルガン戦だった。3月以来の来日となったエルガンは試合後、「みんなはファミリーだ」と感動し、関本は「快感だね」と喜んだ。その晩、SNSでは多くの人がこの試合の感想を熱っぽく語っていた。誰かに語りたくなるようなその試合の写真は、その後、週刊プロレスの表紙を飾った。

かつて武藤敬司は、プロレスを芸術、その試合を作品と称した。リング上のレスラーの表現は、それを見る観客なくして成り立たない。今の時代、後からいくらでも試合の動画は見られるが、作品に関われるのはその場にいた人だけだ。プロレス担当として、たった1度の名作が成り立つ瞬間に、できるだけ立ち会えたらと思う。【高場泉穂】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)