未曽有のウイルス禍は、土俵から横綱までも奪い去った。緊急事態宣言が発出された厳戒態勢の中、大相撲初場所が幕を開ける。年6場所、2カ月に1度、定期開催される本場所で、感覚的に「節目」を感じるのは難しい。ましてや昨年の初春から続く、このコロナ禍である。それでも、このモヤモヤ感を何とか払拭(ふっしょく)し、無理にでも区切りをつけ、新たなスタートを切りたいと思うのは人間の性(さが)だろう。角界にあっては、この初場所が1年の始まりの本場所。第3波の真っただ中だが、無事の船出を祈りたい。

船出と言えば、新しい師匠の元、スタートを切る部屋がある。昨年12月をもって先代高砂親方(現錦島親方=元大関朝潮)が65歳の定年を迎え、師匠バトンタッチとなった高砂部屋だ。部屋を引き継いだのは、元関脇朝赤龍の8代目高砂親方。例年、1月3日は都内に眠る5代目高砂浦五郎(元横綱朝潮)の墓参りから始動するが、コロナ禍の折、その伝統は中断された。それでも部屋頭の大関朝乃山を筆頭に、新年の稽古で汗を流した。

継承の意思決定はもちろん、先代にあった。11月場所の後半、紆余(うよ)曲折の末、現高砂に決まったが「兄弟子の若松親方(元前頭朝乃若)を差し置いて…」の気持ちも正直、あったようだ。それでも継承を伝えられ覚悟を決めると、動きは早かった。11月場所は、場所前に次期師匠が決まらず、3日目からは朝乃山が休場。部屋にモヤモヤ感が充満する中、現高砂親方は場所後半にもかかわらず、夜のちゃんこが始まろうという時、上がり座敷に全員を集め思いの丈を声に出した。

「みんな場所中に集まってもらって悪い。次から代が代わって、自分が部屋を継ぐことになりました。最初は新米なので分からないこともあります。みんなで助け合って頑張りましょう。みんなで新しい高砂部屋を作っていきましょう」

その場にいたわけではないから一字一句、正確な言葉ではないが、ニュアンスはそんな内容だったという。また朝乃山に対しては「もっと若い衆に、いろいろ教えてやって」と言葉をかけたという。さらに場所後の休みが明け、稽古始めも軽い自主トレのような短時間の稽古でスタートした。従来は、いきなり相撲を取ることも多かったが「1週間、休んでいていきなりやってケガをしてはいけない」という判断だった。いつものように稽古場に姿を見せ「えっ、もう終わったの?」と、きょとんとした顔の先代に、新米師匠が前述の説明をすると先代も「そうか、それでいい。お前の好きなやり方でやってくれ」と、ほほ笑みながら言葉を投げかけたという。

高砂部屋の師匠は初代高砂浦五郎こそ現役時代の最高位は平幕だったが、2代目以降の6人中、4人は元横綱、元大関(各2人)が務めていた。先代も知名度の高い元大関朝潮。力士たちには、近寄りがたい存在だったのかもしれない。それを逆手に取ったかのように、現師匠は現代っ子の力士との距離を縮めるスタンスをとった。

人心掌握術ではない。いい意味で“三役止まり”だったからこそ、かしこまることなく素のままで接しようという姿勢がうかがえる。文字通り原点に戻り、裸一貫で力士の懐に飛び込んだわけだ。前述の師匠交代のあいさつが終わるか終わらないうちに、次々と力士から覇気のある「お願いします!」の声が飛んだという。船出は順調。初場所の結果で、それが示されるはずだ。【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

高砂部屋
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