場内に伊勢ケ浜審判部長(元横綱旭富士)の、行司軍配差し違えのアナウンスが流れる。勝ち名乗りが行司から発せられた8秒後、場内アナウンスが再び流れる。「ただいまの決まり手は一本背負い、一本背負いで豊昇龍の勝ち」。めったにお目にかかれない豪快な珍手に、館内のファンからマスク越しのどよめきが起きた。

5日目には大栄翔戦で宇良が、幕内では16年ぶりとなる「送りつり出し」でみせた。同じ日に英乃海は「後ろもたれ」で勝った。今年春場所では翔猿が「首ひねり」、霧馬山が「送り引き落とし」の珍手。照強も「小褄取り」「網打ち」など多彩な技で白星を収めてきた。上背のそれほどない、業師たちの面目躍如といえるだろう。

ただ最近の傾向としては、押し出しや寄り切り、突き落とし、はたき込みなど、直線的な動きの中で勝負が、あっけなく決まることが多い。この傾向に、寂しさを隠せない親方がいる。10月16日に69歳の誕生日を迎えた大山親方(元前頭大飛)だ。決まり手係として35年あまり。現在は十両を担当し、心血を注いできた人ならではの切なさだ。

大山親方 力士の体重が重くなって攻防が少なくなりましたね。行司の「残った、残った」の声にも残れない。自分の体重を支えられない力士が多くなったことが1つの原因でしょう。

そう言って「例えば」として挙げたのが、うっちゃりだ。「うっちゃる前に自分の体がつぶれてしまうんです」。さらに「取ったり」についても“物言い”がある。

大山親方 今でも取ったりの決まり手は出ますが、昔の取ったりと違うんです。本来の取ったりは2度、3度と、しつこくかけて決めるもの。それが今は1度か2度かける途中で相手が手をついてしまう。アッサリと決まってしまうんです。(元大関)旭国さん(元大島親方)なんか、しつこかった。栃赤城さんの逆取ったりなんかも見応えがありました。技を出された相手が辛抱して、踏ん張って、こらえた末に決まるのが醍醐味(だいごみ)なんですよ。

決まり手へのこだわり。それは今から30年ほど前にさかのぼる。決まり手係と並行して任務していた相撲教習所で、モンゴル出身の新弟子、後に小結まで昇進する旭鷲山を指導していた時のことだ。

大山親方 基本的に、丸い円(土俵)の外に相手を出せば勝つのが相撲。それが旭鷲山は、投げるわ、ひねるわ、反るわで内掛けも外掛けもする。それを見ながら、ふと思ったんです。これが本場所で決まったら何という決まり手になるのかな、と。その当時に制定されていた決まり手に、当てはまらないものがあったんです。たとえば後ろ向きのまま相手を土俵の外に出す。当時なら寄り切りです。でも、ラジオで聴いていた人が想像する寄り切りは、相手に正対して四つに組んで出すことでしょう。でも実際は違う。違う決まり手の名前があっても、いいんじゃないかなとね。

“決まり手魂”がうずく。すぐに実行したのが、江戸時代の決まり手本を、教習所の教官らの手助けを借りて探しまくること。そこで目にした本をひもとくと、何と決まり手が100以上もあった。わが意を得たり-。

大山親方 あの教習所で今まで見たこともなかった技に、決まり手を用意しなければいけないと思いました。あの後ろ向きの寄りは「後ろもたれ」だと。他にも考えれば、首をかしげるものもあって、これは付け加えなければ駄目だと思いました。

60年初場所から決まり手は70手のまま。周囲の親方衆にも賛同を求めたが、耳を貸してくれる人はいなかった。あの“旭鷲山の衝撃”から8年がたとうとしている。文献も調べ尽くした。もう自分が腰を上げるしかない。20世紀最後の年、機は熟した。

大山親方 それまで誰も話を聞いてくれなかったし、話をしてもイタチごっこ。ええい、行っちゃえと。もう直談判でした。時津風理事長(元大関豊山)の所に行って「これはこうですよ」と1つ1つ説明しました。まあ怒られて終わるだろうと思ったのに、理事長は私の説明を聞き入れてくれました。本当に懐の深い人で良かった。感謝しています。

決まり手名人は、それだけでは飽き足らない。

大山親方 本当は、あと2つ3つ、追加したいものがあったんです。肩透かしを上手や下手を取って引っ張り落とした場合、これは投げでもない、ひねりでもない。私からすれば「上手すかし」「下手すかし」なんです。それも追加してもらおうと思って説明したんですが「もう、そのへんにしておけ」と笑って却下されましたけどね(笑い)。

熱意が実ったのは翌01年1月。この初場所から、それまで70手だった決まり手が、約40年ぶりに82手に増やされた。それから1年半後。全身に電流が走るほど興奮する、思い出の一番が土俵で起きた。翌02年9月の秋場所3日目。大関朝青龍が小結貴ノ浪を「伝え反り」で勝った一番だ。もちろん、熱意が結実し追加された12手のうちの1つ。日本相撲協会の公式ホームページによれば、この決まり手が出る割合は0・01%という希少な技だ。当時を振り返る口調は、69歳の年齢を感じさせない熱っぽさだ。

大山親方 これだっ、出た! と興奮しながらドキドキしたことを覚えています。間違いない、伝え反りだと。ただ、確認も入念に行いました。(自分がいるビデオ室と電話でつながる)場内アナウンスの行司さんには『ちょっと待って』と言って時間をもらいました。確信を持ちたかったからです。決まり手を伝えた後、場内アナウンスが流れた時は『どうだ、出たろ!』と全国に言いたかったですね。高見盛が後ろもたれで勝った(04年名古屋場所と11年初場所)時も、新しい決まり手を作って本当に良かったな、と思いましたね。

そんな大山親方の頭を悩ませる、決まり手係泣かせの力士は、どんなタイプなのか-。それには、強いて言えば「速い動きの人ですかね」と短く答えた大山親方が「というより一番、見ていて楽しかったのが舞の海ですね」と希代の業師の名前を挙げた。土俵上の動きを、一瞬の隙も作らず、つぶさに目を凝らすプロならではの観察眼だ。

大山親方 私が見て、完璧な手順通りの相撲を取るんです。左が入って右の前みつを取ると、彼の左膝を見ます。舞の海は、その左膝で芸をするんです。下手投げ、切り返し、足取り、無双を切る-。そうやってイメージ通りに相撲を取れるのが舞の海のすごいところなんです。私たち決まり手係は、力士が次に何をするか予想するんです。舞の海の場合は、次に下手ひねりが出る。切り返す、というのが分かる。必ずそうなります。それを出来るのがすごいんです。

決まり手に、これほどの「こだわり」を持つ大山親方だが、相撲ファンには寛容な心で構えている。

大山親方 お客さんも一緒になって「今の決まり手は何だろう」と楽しみながら考えて観戦してもらえたら、うれしいです。たとえ、その決まり手が場内アナウンスと違ってもいいんです。「ああ、そうなんだ」でも「いや、アナウンスが違う」でもいいんです。決まり手を楽しんでもらえればいいんです。私たち決まり手係は、協会の公式記録として残さなければいけない立場なので1つに決めます。でも係の中でも見解が違うかもしれません。どちらも正解です。そう決めた解釈の説明を、しっかり持っていれば「こうでもあり、ああでもあり」でいいと思います。そうやって、ファンの皆さんにも楽しんでもらえたらと思います。

現役時代は千代の富士の横綱土俵入りで露払いを務めたこともある大山親方だが、引退後は陰に日なたに協会を支えてきた。決まり手係、相撲教習所以外にも、真面目な性格や角界屈指の知識人としての力量も買われ、相撲寺子屋の講師役、巡業先での相撲講座、相撲健康体操など普及活動に汗を流してきた。そうして歩んできた相撲人生だが「大山親方」として日本相撲協会に残れるのも、ちょうど残り1年。退職を1年後に控え、今の力士たちに伝えたいことを聞いてみた。相撲教習所時代に、新弟子たちに伝えていた言葉を今でも大切に、胸に刻んでいる。

大山親方 力士の「士」は、武士の「士」でもあるけど、紳士の「士」でもあります。身内だけでなく、一般の人に対しても紳士らしく礼儀正しく、人に親切にしなさいと。それを伝えたいですね。

【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

伝え反りで貴ノ浪を破った朝青龍(右)(2002年9月10日撮影)
伝え反りで貴ノ浪を破った朝青龍(右)(2002年9月10日撮影)
大山親方(2011年2月1日撮影)
大山親方(2011年2月1日撮影)