プロレスラー大仁田厚(59)が、「さよならグレート・ニタ新木場大会」から一夜明けた28日、ニッカンスポーツコムの単独取材に応じた。大仁田は、自身の分身グレート・ニタが試合後に東京・台場から海に帰った=“封印”した真意は、10月31日にプロレスラーを引退する、けじめだったと明かした。

 大仁田 大仁田がいる限り、ニタの魂は生き返る。大仁田がリングを去ると本当に決めた時に、グレート・ニタも去るべきだと思った。浮遊霊みたいなものだから…大仁田がいる限り、生き続けて、いつも背面にいて、何かがあれば出ていきたいわけですよ。大仁田が本当に辞めると決心した表れは、さよならグレート・ニタ。だから、海に帰るべきなんだと。

 グレート・ニタは、1994年(平6)12月1日のFMW広島グリーンアリーナ大会で初登場。ターザン後藤の化身ホー・チー・ウィンとタッグを組み、今年6月に亡くなったミスター・ポーゴさん(本名・関川哲夫、享年66)と大矢剛功組と対戦した。当時、新日本プロレスに所属した武藤敬司(54)の化身・グレート・ムタを見て「メジャー新日本に対するアンチテーゼとして」(大仁田)生み出したものだった。

 当初は広島大会1回限りの存在と考えていたが、同大会直後に、いじめに苦しんでいた子どもから「ニタを見ていて励まされた。いじめを乗り越えた」と書かれた手紙が届いたという。大仁田は、その出来事をきっかけに、ニタを分身として生かす決意をした。1999年(平11)8月28日の新日本プロレス神宮球場大会での電流爆破マッチでムタに負けた後、ニタが自ら棺おけに入りながら、その後、現世に“復活”したのも、手紙に突き動かされ続けたからだという。

 大仁田 子どものファンから手紙が来た時、ニタを続けていいんだ…続けていこうと思った。そこから湧き上がった思いから、ニタは基本的に弱いやつら、いじめっ子の味方になった。いじめられたら、石をつかんでも反撃するしかない…でも、石じゃしょうがないから武器を鎌にした。神宮球場でムタに負けたし、その時点でサヨナラだったのかも知れないけれど。

 通算7回目の引退だけに、周囲からは懐疑的な声も聞こえてくる。大仁田は「人生にはto be continued(続き)がある。プロレス界じゃない、他の世界に行くかも知れない。その引退の意思の表れだから、試合の後、海に帰したんだ」と、10月31日の後楽園ホール大会での引退を、あらためて明言した。【村上幸将】