元プロレスラーの天龍源一郎(71)のアスリート人生の連載最終回は、プロレス人生の集大成。現在は腰のケガもあり、つえを突きながらの生活を強いられる。懸命なリハビリをする一方で、自身が立ち上げた天龍プロジェクトの大会には解説者として毎回駆けつけ、若手選手の戦いを見守る。お世話になったプロレス界へ恩返しするために。【取材・構成=松熊洋介】

今年3月、活動を休止していた天龍プロジェクトが、約5年ぶりに再始動した。当初はうっ血性心不全で入院していたが、4月末に退院し、5月の大会から解説者として参加し、元気な姿を見せている。試合後はリングに上がり、元気よく「エイエイオー」と叫ぶ。若手選手に抱えられ、転がりながらリングに上がるが、気にするそぶりはない。「筋力衰えているだけ、内臓系は悪くない」と笑顔を見せる。

まだ71歳だが「人の倍くらい楽しんだ。お酒も仕事も十分やってきたから」と話す。相撲界、プロレス界で体を酷使してきた中で引退する選手や、亡くなった盟友たちをたくさん見てきた。ケガもあり、自身も65歳で引退。「プロレスラーをやっていて70歳まで生きているのは奇跡だよ」と語る。

天龍 明日死が訪れても悔いはない。もし朝、俺が起きてこなくても何の後悔もなく逝ったんだと思って欲しいと(家族には)言っている。もし、死ぬ日が分かっていたら、その前に「楽しかったよ、ありがとう」と言って終わりたい。

気楽で平穏な日々を毎日感じながら、現在も楽しく生きていられるのは、娘で同団体代表でもある嶋田氏の存在が大きい。「ケツたたかれながら…。こういう娘がいて気が休まる日がないから元気でいられる」。若い時からたくさん飲んで食べ、丈夫な体を維持した。食事は大皿で10品近くがテーブルに並ぶ時も。後輩の面倒見も良く、誕生日会を開くなど、お金も出し惜しみせず使った。嶋田氏は「父・天龍源一郎」をこう語る。

嶋田氏 家庭でもリングの上と全く変わらず裏表がない。今は柔らかくなったが、自分に厳しいから他人にも厳しくて。でもすごく愛のある人。食事はスーパーで毎日カート2台分。親戚一同集まるくらいの量だった。必然的に私たちも太っちゃいますよね。お金もあればあるだけ使っていた。家が数軒建っていたかも(笑い)。

昨年2月、嶋田氏らを中心に「日本プロレス殿堂会」が発足。天龍、長州、藤波らも発起人となり、レジェンドたちをたたえ、団体の垣根を越えて、プロレスの歴史を形として残そうという活動が始まった。9月の日本プロレス史70周年記念大会『LEGACY』では猪木氏、馬場氏、ジャンボ鶴田氏、藤波辰爾、長州力とともにプロレス殿堂入りを果たした。天龍は「相いれなかった人たちが一緒に集まって表彰される。今のファンの人たちにもほほ笑んでくれると思う」と喜んだ。

「破天荒なプロレス人生だった。これからやりたいことは何もない。野望も特にない。いまさら金持って何になるんだよ」。日々一生懸命生きてきたからこそ、自信を持って言い切る。プロレス人生を謳歌(おうか)してきた天龍は、体が動く限り、これからもリングに恩返しを続ける。(おわり)

 

◆天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう) 本名・嶋田源一郎。1950年(昭25)2月2日、福井・勝山市生まれ。63年12月に13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門。64年初場所で初土俵を踏み、73年初場所で新入幕。幕内通算108勝132敗、最高位は前頭筆頭。76年10月に全日本入り。90年に離脱し、SWSに移籍。WARを経てフリーに。WJ、新日本、ノア、ハッスルなどにも参戦した。10年に天龍プロジェクト設立。15年11月に現役引退。獲得タイトルは、3冠ヘビー級、世界タッグ、IWGPヘビー級など多数。得意技はDDT、ラリアット、グーパンチなど。