「問題児」NOSAWA論外(46)が約27年間のプロレスラー人生に別れを告げた。

ヒールユニット「東京愚連隊」として長くコンビを組んだMAZADA(47)とタッグを組み、第5試合で新日本プロレスの外道(54)、石森太二(40)組との引退試合に臨み、石森のブラディークロスで脳天からマットにたたきつけられ、フォール負けを喫した。

ゴング前からMAZADAと新日本コンビを強襲し、ダーティーに先制攻撃したものの、時間の経過とともに満身創痍(そうい)のNOSAWA論外の動きが鈍くなった。「5分もリングに立てない体」と心身を震わせてファイトしたものの、石森のスライディング式ジャーマン、BONE LOCKで絞められると、ほぼ動けなくなった。

最後はひざまずきながら両手を広げ「来い、石森」と介錯(かいしゃく)役に指名。無抵抗のままブラディークロスを浴びて現役人生にピリオドを打った。NOSAWA論外は「27年間プロレスをやってきた中で1番良い試合だった。本当にきつくて、プロレスラーとしてはとっくに終わっている中、段取りが天才的ですごいから、死に場所を東京ドームに選んだ」と感慨深げだった。

一方、石森は約6年ぶりの古巣ノア参戦でNOSAWA論外の介錯(かいしゃく)役を務めた。メキシコ修業時代に交流があった先輩の引退試合の相手を務め終えると涙が止まらず「20年前に出会った時はオレが介錯すると思っていなかった。俺たちの関係は語り尽くせないほどの思い出がある。この時代にNOSAWA論外というプロレスラーがいたことを忘れないでほしい」と泣きながら訴えた。

全日本プロレス時代の04年、NOSAWA論外は当時の世界ジュニアヘビー級王者カズ・ハヤシに挑戦を迫り、ハヤシから「(挑戦者に)NOSAWA? 論外」と拒否されると、そのコメントを逆手に取ってリングネームをNOSAWA論外に変更。「次の挑戦者はNOSAWA論外と言った」と主張し、王座挑戦権をつかむなど、理不尽な問題児としてアウトローな現役人生を歩んできた。NOSAWA論外は「今、現在は、もうプロレスラーでなくなった、一般人だ。普通の人間でいるよ。今までこんな世間の問題児をいろいろしてくださってありがとうごさいました」と頭を下げていた。