“プロレスリングマスター”武藤敬司(60)が、レスラー人生に幕を閉じた。

武藤の愛妻の久恵さん(59)が、日刊スポーツに手記を寄せた。92年の結婚後、常に一番の理解者だった。「武藤敬司-プロレス=0」という夫のプロレスLOVEを支え続けた31年間を振り返り、感謝の思いをつづった。

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パパ、長い間本当にお疲れさまでした。

私は結婚してからの約31年間、ずっとあなたの痛みとの闘いを見て過ごしてきました。でもあなたはその間ずっと「武藤敬司-プロレス=0」になってしまうのではないかと思うほど、毎日毎日プロレスのことを考えていましたね。

プロレスラーとして常にベストを尽くして、朝起きてから夜眠るまで、ご飯の時間も内容も全て常に毎日ルーティンを守って生活している姿は、いつも尊敬の気持ちで一杯でした。

新婚旅行でハワイに行った時も、日光が出ている間はプールサイドで日焼け。あおむけの時間とうつぶせの時間もキチンと計算して、試合に備えてキレイに日焼けしている姿を見て、プロとしてさすがだと思いました。そしてその後に一緒にトレーニングに行き、すっかり夜も更けてやっているお店がなくなり、夕飯はハワイなのに牛丼屋さんになりましたね。懐かしい思い出です。

「久恵さんと結婚したいです!」と、私の両親にあいさつをしに来てくれましたね。「久恵さんは新弟子よりも良く気が利くので助かります」と言って、母からは「うちの娘は新弟子ではありませんから、大切にしてあげて下さい」と、父からは「君はキレイな目をしてるね。信じられる」という言葉を掛けられました。すると、そこであなたは「はい! 俺は信じられる人間です!」と自画自賛。みんなで爆笑したこと、覚えていますか?

膝のケガでだんだん子供たちと外で遊ぶことさえ出来なくなってしまったことは、寂しかったと思います。本当は人一倍歩いたり走ったりすることが大好きな人ですから。

でも子供達にとってずっといい父親で居てくれました。

2000年の夏頃から半年間、息子が3歳半、娘が生後3カ月の頃からアトランタで一緒に過ごした日々は貴重な時間でした。

WCWの興行に参戦するために渡米したのにマッチメーカーが人種差別の強い人にバトンタッチしたため、試合が余り組まれなくなった時期です。全てにおいて前向きに考えるあなたは、それまでずっと忙しく過ごしてきたので、家族との時間ができたことを喜び、リラックスタイムを楽しみました。だから娘が初めて立ったり歩いたりしたのもその目で見られましたね。

その年末に日本で猪木ボンバイエの出場が決まり、帰国する直前にアメリカで私がバリカンで頭を剃り、丸刈りになりました。初披露した時は、皆さんとても驚いたことと思いますが、もっと驚いたのは剃っている場面を偶然見てしまった息子でした。

「悪いことをしたら、お前もこうするぞ!」。あなたが冗談を言ったら泣いてしまい、その顔を見て二人で笑いましたね。

昨日でプロレスラー武藤敬司は引退しましたが、きっとあなたのことだからこれからもトレーニングを続けて、また何か新しい挑戦をすることでしょう。だから私はずっと身近で支えていきたいと思います。

 

武藤久恵

 

◆武藤久恵(むとう・ひさえ)1963年(昭38)6月24日、東京都杉並区生まれ。92年に武藤と結婚。子供は1男1女。