決死の覚悟で電流爆破-。国内最高齢現役レスラーのグレート小鹿(81=大日本)が12日、新潟・万代島多目的広場大かまで開催される新潟プロレスで、大仁田厚(66)と電流爆破マッチを行う。63年5月に日本プロレスでデビューし、今年が60周年。故力道山最後の弟子で、3度のガン闘病を乗り越えた不屈のレスラーに、大一番前の心境を聞いた。【取材・構成 中島洋尚】

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4年前から「やだ」と拒否し続けてきた大仁田からの「電流爆破マッチ」の誘いを、初めて受諾した。

小鹿 この数年でいろいろと大病をやって「(電流爆破を)やれるのか」という思いもあるけれど、目の前の試合を「これが最後」と思えば、いいファイトを出せると思ってね。

「75歳ぐらいまで病院なんてほとんど行かなかった」という小鹿だが、17年に肺炎を患い、胃がん、大腸がんと続き、今年3月にはぼうこうがんが見つかった。手術をすすめる担当医に「私は81歳。これを手術して、何年生きられるの?」と、食ってかかった。その後の説明に納得して治療には入ったが、8月5日の復帰戦の前日まで尿意を感じられず、紙おむつをはいての日常生活が続いた。

小鹿 (復帰戦の)花道からリングに上がるまで「こーじーか!」「こーじーか!」の大コールがあってね。「これはやらなきゃ」「まだまだやれる」という気持ちだったんだけど、試合開始のベルが鳴ると、気持ちに体がついていかない。落ち込んだね。でも終わってしばらくすると、「ファンのコールに応えたい。もう1回、もっといいところを見せたい」と気持ちにエンジンがかかった。「11月の体調次第では(電流爆破を)受けてもいいかな」と考えるようになった。

昨年10月には、日本プロレス時代に故力道山から薫陶を受けた、年下の兄弟子アントニオ猪木(享年79)が亡くなった。今年8月は、ライバルで友人のテリー・ファンク(享年79)もこの世を去った。

小鹿 猪木さんが亡くなり、力道山先生の指導を誇りに思える人が、僕しかおらんことになった。どうしたら良いか悩んだが、最期まで力道山先生の(プロレスへの)思いを後輩に伝えていくのが僕の使命。僕がスーパーアドバイザーとして関わり、今回タッグを組む新潟プロレスの選手が、電流爆破マッチで日本全国に名前をとどろかせるようになればと思う。

ちょうどデビュー60周年だった今年5月には、北海道からの参戦オファーがあった。しかし当時は病み上がりで500メートルも歩くと息切れがする状態だったため、泣く泣く試合をキャンセルした。現在は1日5000歩は歩き、コンディションを整えている。新潟での一戦が無事に終われば、数年ぶりに故郷に戻ることも検討している。

小鹿 北海道には知り合いもいっぱいいて、メールも来る。ごはんもおいしいしね。試合じゃなくても、トークショーのような形でも、1度顔を出したい。

◆グレート小鹿(こじか)本名・小鹿信也。1942年(昭17)4月28日、函館市生まれ。17歳の時に千代の山から青函連絡船内で誘われ出羽海部屋入門。62年に三段目で引退し、力道山を慕い日本プロレス入り。67年に渡米し、現地のプロレスでヒール役で人気を博す。帰国後の73年に全日本プロレス入り。88年に一時引退も、95年に大日本プロレスを立ち上げ社長兼レスラーとして現役復帰。18年に新潟プロレスの無差別級王座を奪取し、国内最年長のシングル王座獲得記録を樹立。昨年10月にプロレス殿堂入り。185センチ、115キロ。

○…大仁田は「情けをかけるような試合はしない」と、最高齢で電流爆破に臨む小鹿を容赦なく攻めることを宣言した。当初は小鹿をコーナーにしばりつけ、新潟プロレス勢が勝てば解放、負ければ小鹿に電流を流す変則マッチを予定していたが、小鹿が「俺はモノじゃない」と拒否。通常の電流爆破で実施する。「命の危険もあると思って(変則マッチを)提案したが、レスラーの性(さが)だな。相手(小鹿)が納得する試合をする」と、「邪道」は真っ向勝負を誓った。