三沢の遺志は武藤が引き継ぐ。全日本プロレスの武藤敬司社長(46)が15日、13日の試合で頸髄(けいずい)離断のため亡くなったノアの三沢光晴さん(享年46)の急死を受けて会見。天才レスラーとしてライバルでありながら、同じ歳で同じ社長兼レスラーという境遇として察する思いを吐露。さらに新日本を含めたメジャー3団体で、レスラーのライセンス制度導入を目指していることを明かした。今後は三沢さんが描いていたプロレスのメジャー化、統一構想をリードしていく。

 三沢さんは常々「プロレスをメジャーにしたい」と言い続け、乱立する団体の統一化を構想していた。06年にはノア主体のグローバル・レスリング連盟を創設したが、武藤の全日本と新日本の名はなかった。しかし、今年に入って3団体が歩み寄り、構想実現へと動きだしていた。

 武藤

 すでに3団体で話をしている。ライセンス制は奨励し、コミッショナーのこととかもある。健康管理などは具体的には今言えないが、みんなで検討していけばいい。みんなでまとまるようにしていけばいいと、そう信じて頑張っていきたい。本当に寂しいし、不安だし。かと言って、立ち止まるわけにいかない。

 3団体フロント幹部が3月、5月と2度会合を持った。「プロレスとは何か」に始まり、まだ試行錯誤も「リングには誰でもではなく、選ばれた者が上がれる」という考え。健康管理とともにステータスを上げることが、メジャーにもつながるはず。そこでボクシングのようなライセンス制導入の検討が始まっている。

 武藤は時には腕を組み、身ぶりを交え、考え込みながら、三沢さんへの思いを語った。4年前には闘魂三銃士の盟友橋本さんを失った。そして、今度は天才レスラーとして比較されてきたライバルが…。

 武藤

 橋本の時は信じるのに半日かかった。今回は衝撃が大きく理解できなかった。おれ以上のレスラーなのに…。同じ釜の飯を食ったわけではないが、同じ年で生まれてきたときから敵対関係。一選手として比較されてきた。

 社長兼レスラーとして同じ境遇に、心中を察してあまりあるものがあった。景気後退がプロレス界も直撃。ノアの日テレでの地上波放送が打ち切られた。そんな状況を心配もしていた。

 武藤

 道しるべのない中、プロレスをどう引っ張っていくのか。同士的存在。25年間で5、6時間話したぐらい。腹を割って、酒飲んで、愚痴ったりしたかった。日テレの分をどう補っていくのか?

 集客力も技量も三沢に依存していた。苦しかったのでは…。

 04年にタッグで対戦し、パートナーも組んだ。シングルマッチでは対戦はなかった。武藤は8月に25周年記念大会を控え、三沢さんにマッチメークを持ち掛けようと思案していたという。

 武藤

 おれはかわしたり、いなしたりするが、正直に受け止めるレスラー。リングの上で死ねたら本望と言ってきたが、もう軽々しくは言えない。自分を改めようと思った。夢の戦いは、一騎打ちはどうするんだ?

 と聞きたい。

 天才対決は夢に終わったが、三沢さんの夢は引き継いでいくつもりだ。【河合香】