大相撲の元呼び出し三郎の荒俣武雄(あらまた・たけお)さんが28日午前9時46分、東京都内の自宅で老衰のため死去した。富山市出身。94歳だった。日本相撲協会が28日に発表した。葬儀などは、家族葬にて執り行う。

荒俣さんはもともと富山の薬売りが本業で上京。薬売りがきっかけで相撲関係者と知り合い、28歳だった1955年(昭30)に角界入りした。元幕内大ノ海の花籠部屋に入門し、部屋を継承した元横綱輪島の退職に伴って、元大関魁傑の放駒部屋に転籍した。入門が遅かったため、65歳の定年時は十両呼び出しだった。

透き通る美声が角界一と言われ、相撲甚句の名人でもあった。当時は巡業などで力士が相撲甚句を披露した後、三郎さんが土俵でうたうこともあった。定年退職時には「私にとっては定年でなく卒業なんです。相撲が盛り上がっていく時にやめていくのは幸せです」と話していた。1992年10月の定年時は、小結貴花田(のちの横綱貴乃花)が2度目の優勝を果たすなど、相撲ブームの真っ最中だった。

荒俣さんは退職後、講演など土俵外でも活躍していた。入門時から同じ所属部屋として世話になった三役呼び出しの克之(57)は「九州場所に行く前に電話で話し『一生懸命頑張ってこいよ』と言われました。厳しい中にもやさしさがあり、やさしさの中にも厳しさがあった人でした」と故人をしのんだ。【佐々木一郎】