大相撲中継で人気の藤井康生アナウンサー(65)が1月31日付でNHKを退局し、2月1日からフリーになった。NHK時代の思い出、実況へのこだわり、今後についてなど3回に分けてインタビューをお送りする。1回目は、大相撲中継での北の富士勝昭氏との思い出などについて語ってもらった。【取材・構成=佐々木一郎】

-NHKアナウンサーとして最後にテレビやラジオに出演されたのは

テレビは1月場所の12日目の放送が最後でしたね。ラジオは14日目の放送です。

-退局されて最初の日、2月1日を迎えた気持ちは

もうNHKの人間ではないということで、やりたいことがしがらみのない中で自分自身の責任においてできるかなと。これから食べていくにはまだまだ仕事をしなければならないですし、体はいたって健康ですからそういう意欲を持って次の道に進んでいきたいという気持ちはあります。

-今後についてはまた最後にもおうかがいします。まずは初場所の最後のテレビ実況は、北の富士さんとの最後のコンビとなりました。北の富士さんとは放送が終わった後に何か話をしましたか

放送席でちょこっと記念写真を撮って、「コロナがおさまったら藤井さんまた一杯やりましょうよ」というくらいの感じでしょうかね。

-放送では藤井さんが岡山で生まれた時期に北の富士さんは北海道から上京したというエピソードが披露されました

(生まれた)時期というより、その日なんです。北の富士さんが北海道をたって、青函連絡船から列車を乗り継いで上野駅に来るわけです。夜行列車で上野駅に着いたのが朝早い時間で、ちょうど昭和32年1月7日の朝早い時間に生まれているんですよ。昔、北の富士さんの生い立ちを読んでいる時に、「昭和32年1月7日に上野駅に降り立ち…」とあって、「えっ!」と思って…。それで仕事をご一緒するようになって、「やっぱり縁があるんだね」と言ってもらいました。

私としてはわざわざ「今日が放送最後です」って言うのも潔くないなと思い、言わないつもりだったんですけど、北の富士さんが「今日で藤井さん最後なんだっけ」と突然放送で出されて、昭和32年の話になりました。

-実況と解説という立場で北の富士さんとコンビを組んで何年ですか

もう二十数年ですね。

-北の富士さんからいいコメントを引き出すこつはありますか

思い出話を引き出そうというほどの計算はないんですよね、今、相撲のわかる範囲での歴史を語れる人はあの人しかいないと思います。北の富士さんからそういう昔の話を聞きたいという気持ちが何より一番なんです。北の富士さんは放送ギリギリにお見えですから、横綱土俵入りをやっているのにまだ放送席にお着きになっていないということもたまにはあって、前もって「今日はこんな話をしますよ」とか、「こういう段取りでいきますから」という話は全くないですから。

(照ノ富士が栃木山以来の)新横綱からの3連覇がかかっているとなれば、栃木山を知っている人はもうあの人ぐらいしかいなくて。春日野部屋の稽古場で、栃木山に「あそこの細いのなかなかいいね」と言われて、周りを見たら細いのは俺(北の富士)しかいないと。北の富士さんが入門から1年もたたないころだと思うんです。そのころに元栃木山の春日野親方にそう言われて、やる気になったという話を前もって聞いたことがありました。そういう話を以前に飲んでいる席で聞いたりして、それを今日の放送でちょっとさわってみようと思いながらやるんです。

面白かったのが、ある時のラジオの放送です。相撲が激しくなって、さがりが抜けて、向こう正面の席の3列目、4列目くらいのところまで飛んでいったんです。そのさがりを拾ったお客さんから呼び出しさんの方に順番に受け渡しながら返すんですけれども、それを見た北の富士さんが「これは俺の時代だったら、あのさがりにちょっと1万円札をつけて渡すんだよね」「そういう粋なところがだんだんなくなってきたなぁ」と、そういう話をするわけですね。

そこでふと思い出したのが子供のころに見た映像として、引き揚げるるお相撲さんの背中に100円札をぺたぺたとお客さんが貼りつけている様子が浮かんできたんです。そういえば北の富士さん、かつては花道を下がるときに、背中にお札を貼ってもらったりしていましたねと振ると「いやいやそうなんだよ、昔はあったねぇ。昔は特に巡業とか行くと下がる時に背中に貼ってもらって、背中いっぱいに貼ってもらうこともあったから、支度部屋で全然運動もせずに行くときは、霧吹きで貼りやすいようにして出ていたんだ」とかね。「いよいよ貼る場所がなくなったら腹を引っ込ませたら、まわしの隙間に(お金を)入れてもらえるから、わざと隙間を作って歩いたんだ」とか。そういう面白い話が出てくるわけです。天才ですよ、北の富士さんは。

だからわざとちょっと振ると、いろんな昔話が出てきて楽しかったですね。大した計算もないんです。

-北の富士さんがそれだけお話しされたのも藤井さんだからこそです

子供のころから相撲を見ていましたから。相撲の雑誌は祖父が毎月買ってくれたんです。3歳の時、昭和35年くらいですけどわが家に白黒テレビが入ってくるわけです。祖父が大相撲が大好きで、相撲をどうしても見たいと。決して裕福な家ではなかったんですけど、当時世の中に広がり始めた白黒テレビを買ってきて。いつも祖父のあぐらの中にちょこんと座って、相撲を見ていたらしいんです。

後に聞く話ですけれども、小学校の2年生3年生くらいですかね、「お前は最初に『大鵬』という漢字を書いたんだよ」と。それくらいきっと好きだったというのと、そういう雑誌が毎月欠かさずありましたから、読んだり、見たりするのが好きだったんでしょうね。

※第2回は12日に公開します。

◆藤井康生(ふじい・やすお)1957年(昭32)1月7日、岡山県生まれ。中大法学部卒業後の1979年4月にNHK入局。大相撲は1984年名古屋場所から担当し、横綱貴乃花の最後の優勝を決めた一番などを実況した。競馬、水泳、大リーグなども担当し、中継担当した競技は30種。60歳定年後の再雇用期間を終えて、2022年1月31日にNHKを退局した。