大相撲の元関脇魁聖の友綱親方が31日、東京・両国国技館で、引退会見を行った。

友綱親方を角界へと導いた元十両若東の黒田吉信さん(46)が30日夜、ブラジルから、日刊スポーツの取材に応じた。相撲界に残って第2の人生を歩む愛弟子にエール。「弱音を吐くことなく、強くなりたい一心で関脇まで上り詰めた」とたたえた。生まれ故郷の相撲人気の底上げにも力を発揮してほしいと期待した。

初めて出会ったのは友綱親方が17歳のころだった。世界大会に挑む若者たちに稽古をつけようとサンパウロ市内の道場を訪れると、190センチ、160キロを超える巨体に目を奪われた。

黒田さん 相撲を取る予定はなかったのに、リカルド(魁聖)がやりたいと言って粘るんです。違いを見せつけてやろうと思いっきり胸からぶつかり、頭からバチッと強くいきました。負かして厳しさを教えたつもりが、全くへこたれない。「マイゾン」「マイゾン」(ポルトガル語で『もう一丁』の意味)と言って、何度も向かってくる。気持ちの強い子だなと思いました。

大相撲の世界に行きたいと目を輝かせながら夢を語る若者へ、1度だけ本心を尋ねたことがある。すると「ブラジルにいても、未来がない。大相撲で活躍して親孝行がしたいんだ」と口にした。そんな思いが、中学卒業後に親元を離れてブラジルから日本へ渡った自分の姿と重なった。

この子のために何か力になりたいー。そんな気持ちが芽生えた。練習がある日曜日ごとに、週1回、道場に顔を出し、胸を出した。

黒田さん 現役時代に自分が教わったことをリカルドにもやり、時には延々とぶつかり稽古をする。『日本では毎日やるんだぞ。それでも行きたいか』と厳しく接しました。他の道場でも練習をしている熱心な姿を知り、余計になんとか力になってあげたかった。当時の友綱親方(元関脇魁輝)が入門を認めてくれて、日本行きが決まりました。

本場所が始まるとサンパウロ市内で経営する居酒屋でお客さんと一緒になってテレビで応援し、時には日本を訪れ、激励もした。「兄弟子の魁皇関(現浅香山親方)がいる間に、関取、幕内に上がらないといけないよ」「右四つ、左上手というように、自分の形を持たないと上位には上がれない」と具体的なアドバイスを送ることもしばしばあった。

11年5月の技量審査場所でブラジル人初の新入幕を果たし、16年夏場所で新小結、次の名古屋場所で新関脇になった。幕内在位は60場所に上った。

黒田さん 一番うれしかったのは、本土俵で横綱と相撲を取っている姿を見られたこと。勝つことはなかったけど、自分がスカウトした子が、まさか横綱と対戦するようになったとは。自分のことのようにうれしかったです。

東十両11枚目として臨んだ今年7月の名古屋場所。5勝10敗と負け越した後は、あえて連絡を取らなかった。

黒田さん 十両に残ってほしいと番付表を何度も確認していたけど、自分もそっちの世界にいたから分かるんだよね。どう声を掛けて良いのかわからなくて、連絡が来るのを待っていました。

数日前に本人から引退報告のラインが届き、「ブラジルの誇りだよ」と返事を送った。ここまでよく頑張ったと、誇らしい気持ちでいっぱいだった。

黒田さん 今も胸を出すけど、リカルドのような強い気持ちを持った子は少ないですね。自分から「もう十分です」と言われたり、「厳しいのは、“分割”でお願いします」と冗談ぽく言われたりすることもあります。決めたら最後までやり遂げる彼のような子がまた現れたら、自信を持って今度は友綱親方に推薦したいです。【平山連】

◆黒田吉信(くろだ・よしのぶ)1976(昭51)年4月21日、ブラジル・サンパウロ市生まれの日系2世。玉ノ井部屋に入門するため中学卒業後に来日し、91年秋場所で初土俵。01年夏場所で新十両に昇進してブラジル出身で初の関取となったが、同場所で4勝11敗と負け越してわずか1場所で幕下に陥落。再十両を目指して幕下で奮闘したが、03年大阪場所を最後に現役生活に幕を閉じた。引退後はブラジルに戻り、現在は2軒の飲食店を経営するかたわら、相撲普及のために子どもたちに稽古をつけている。