喪主あいさつで涙をこらえる柄本明(左)。中央は長男の柄本佑、右は次男の柄本時生(2019年1月30日撮影)
喪主あいさつで涙をこらえる柄本明(左)。中央は長男の柄本佑、右は次男の柄本時生(2019年1月30日撮影)

昨年10月に原発不明がんで亡くなった女優角替和枝さん(享年64)の「お別れの会」が先日、40年以上も住んでいた東京・世田谷の下北沢で行われた。夫の柄本明(70)の最愛の妻への思いがあふれる喪主あいさつに、胸が熱くなった。

亡くなった直後、柄本は「今は言葉もない」とのコメントを出しただけで、公の場で角替さんについて話すことはなかった。あいさつで語られたのは、40年以上も愛し、連れ添った妻がいない喪失感だった。「毎日毎日、覚めない夢の中にいるようで。まだどこかにいるような感じがしています」。

2人が出会ったのは、柄本が27歳、角替さんが21歳の時。ともに売れない時代で、角替さんは静岡から上京して演劇活動を始めたばかりだった。「みんな、和枝ちゃんを『かわいい』と言ってくれたけれど、僕が1番かわいいと思ったんだと思います。僕の一目ぼれでした。その人と一緒になれて、3人の子供もできて」。それまで気丈に話していた柄本の声が震えた。

81年に結婚し、俳優の柄本佑(32)時生(29)に長女の3人の子供が生まれた。「3人ともいい子供なんです。親の口から言うのもなんですが、思いやりのある、いい子供です」と続けると、こらえていた涙があふれ、声を詰まらせた。傍らに立っていた佑も時生も、涙を流した。

角替さんはドラマや舞台に出演しながら、舞台の演出を行い、中高年を対象にした演劇塾も主宰した。精力的に活動を続ける中、一昨年8月にがんが見つかった。すでにステージ4だった。「和枝ちゃん、家族一丸で病気と闘いました。残念ですよね。64歳ですから。何とか寿命だったと考えようと思ったけれど、不条理な思いは否めません」。

2人は毎朝、近くの喫茶店に行くのが日課だった。20年前からは犬の散歩も兼ねるようになった。「芝居の話とか、いろいろな話をした。多い時で2時間くらいしゃべっていました」。亡くなった翌日にも1人で喫茶店に行ったが、以降、足を運ぶことができなくなった。「今は和枝ちゃんと行った喫茶店に行けないんですよ。何か思い出しちゃうから。いい人でした。正直にバカがつくぐらい、天然でいい人でした。いつも一緒にいました。こういうことになるとは思わなかったんで」。1人残された寂しさが募った。

そんな喪失感を少しの間でも埋めてくれたのが、2人が打ち込んだ芝居だった。「自分(の家)の下に劇団の稽古場があって、そこにいると、劇団の子たちがいて、芝居をしている。一生懸命にごはんを食べて、寝るようにしています。何か泣けない感じもある。泣きますけど」。亡くなった時も、11月の舞台の稽古中で、稽古に打ち込むことで、悲しみを一時だけでも忘れることができた。

祭壇の遺影は、2人が喫茶店にいた時に偶然通り掛かった写真家浅井慎平氏が撮ったもので、角替さんは気に入って、自宅の居間に飾っていた。自然体にほほ笑み、素顔の角替さんがいる。「和枝ちゃんはこれから年は取らないんですよね。僕や子供は年を取っていくけれど。64歳は本当に若いです。この悲しみ、寂しさ、不条理さ、そういったものを糧にして、生きていくんだと思います」。

実は柄本は、家族葬だけを行い、お別れの会をするつもりはなかった。しかし、「ご近所の方が、『お線香をあげたい』とか、仕事場でも『和枝ちゃんの何かやるの』と言ってくださる方がいて、やらせていただきました」。お別れの会には大竹しのぶ(61)国村隼(63)浅野忠信(45)ら俳優仲間をはじめ約350人が参列した。その後、一般の献花が行われ、柄本家の近所の人、行きつけの喫茶店の主人など、参列者は450人を超えた。「和枝ちゃんが住んだ場所でこういう会ができてうれしい。幸せな人生だったと思います」。言葉の1つ1つが、「和枝ちゃん」に送る最後のラブレターに聞こえた。

【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)

「角替和枝お別れの会」でたくさんの花で飾られた祭壇(2019年1月30日撮影)
「角替和枝お別れの会」でたくさんの花で飾られた祭壇(2019年1月30日撮影)