中村吉右衛門(75)が体調不良のため東京・歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」を16日から18日まで休演した。吉右衛門には珍しい休演で、出演していた昼の部「沼津」の十兵衛はおいの松本幸四郎、夜の部「寺子屋」の松王丸は尾上松緑が、それぞれ代役を務めた。

吉右衛門は15日までいつもと変わらずに出演していた。しかし、16日朝に高熱が出て、病院で点滴治療などを受けた。本人は出演を熱望したが、大事を取って休演が決まった。それから代役の話が幸四郎、松緑のもとに来た。幸四郎は昼の部「極付幡随長兵衛」で長兵衛、夜の部「寺子屋」で武部源蔵、「勧進帳」では弁慶と富樫を日替わりに演じ、松緑は「極付幡随長兵衛」で水野十郎左衛門を演じていた。

幸四郎は「沼津」には9年前に吉右衛門の十兵衛で孫八を演じているが、十兵衛は初めての挑戦。松緑も「寺子屋」で武部源蔵は3回演じているが、松王丸は2回だけで、12年以来演じていない。それでも、代役の話が来た時、2人に「できません」と断る選択肢はなかった。普通の芝居なら、主役が休演した場合、代役の稽古に1日か2日かかり、舞台そのものが数日中止されるケースが多いが、歌舞伎では、主役が休演しても、すぐ代役を立て、その穴を埋める伝統がある。

幸四郎は「幡随長兵衛」が終わってから、「沼津」の出番までのわずか1時間半の間に準備し、本番に臨んだ。1時間50分の上演時間にほとんど出ずっぱりの役だが、関係者によると、せりふは完ぺきで、所作にも不安はなかったという。十兵衛は父松本白鸚も演じており、「いつか自分も」という気持ちで、準備は怠らなかったのだろう。松緑も「幡随長兵衛」から「寺子屋」まで4時間しかなかったが、わが子を犠牲にすることを余儀なくされた父親の悲哀を見事に演じていたという。

代役で脚光を浴びた例に、片岡愛之助がいる。07年、市川海老蔵が主演した「鳴神」終演後、風呂場で負傷し、翌日から愛之助が鳴神上人を代役した。当時、関西では注目の若手だったが、代役の成功で一気に全国区に名乗りを上げた。御曹司でなく、部屋子として歌舞伎入りした愛之助にとって、「恐ろしかった。正直、やれる自信はなかった」と一か八かの挑戦だったが、飛躍のきっかけになった。

歌舞伎の代役には「三日ご定法」というルールがある。代役を立てた場合、休演した役者が翌日に出演できるまで回復したとしても、3日間は代役が務めるというもので、急場をしのいだ役者へのリスペクトの意味合いがある。今回も3日間の代役の舞台を数多くの関係者がしっかりと見ている。幸四郎の十兵衛による「沼津」、松緑の松王丸による「寺子屋」が、本公演で上演される日も近いかもしれない。 【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)