世界的バレエダンサー熊川哲也(51)が代表を務める、「K-BALLET COMPANY」がこの秋に「K-BALLET TOKYO」に名称を変更し、創設25周年記念シーズンがスタートする。ローザンヌ国際バレエコンクールで東洋人初のゴールドメダルを受賞し、ダンサー、芸術監督、振付家、そして社長としてバレエ界に尽力してきた日々を聞いた。【加藤理沙】
★詳細よりも景色が大事
バレエ経験者からすると、熊川は神様のような存在。こちらの緊張に気づき「バレエをやっていたんだね。じゃあ今日はうれしい一日だ」と、笑顔で緊張を解きほぐしてくれた。
「K-BALLET TOKYO」創設25周年記念シーズンの幕開けはチャイコフスキーの3大バレエ「眠れる森の美女」が上演される。
「バレエはいつ何時も、どんな作品でも上演していくのが宿命だけど、5年10年と違って25周年は特別ですね。四半世紀として起点のタイミングなので、作品選びにも気合を入れたいとは思いました。今まで『眠れる-』は少し放置してきたので、自分なりの解釈と目線で再演出という決断でした」
多くの古典バレエを鮮やかに生まれ変わらせてきた熊川が再び新制作に挑む。演出や振り付けのポリシーについてこう答えた。
「やっぱり古典という枠に収めること。解釈を変えたり、アプローチを変えても古典の枠を外さないように。バレエはどこを切っても絵画にならないといけないから、詳細よりも景色が大事。景色を見てキレイだと思う人がバレエを見たら必ず感動するはずです」
同バレエ団が25周年を迎え、想像通りの歩み方なのか、率直な感想を聞いた。
「当時、想像もしていませんでした。今では十分に僕を満足させてくれるバレエ団です。プライベートカンパニーとして、公共の助成金をもらわず、チケット代と協賛のみでやれるということは世界でも珍しいこと。これだけの公演ペースと規模と、そしてオリジナル作品の数…これからも出てこないと思う」
★小4不思議な世界夢中
クラシックバレエを始めたのは小学4年生。きっかけは2つ下のいとこが通うバレエ教室だった。「札幌に引っ越しをしてくる彼らがバレエを続けられるように、祖父が自宅横の15坪の花畑にレッスン場を建てたんです」と明かした。
「教室では季節ごとに催し物があって僕も参加していました。生徒じゃないのに参加しているから、先生に『習ってない子は参加しちゃだめ』と言われ、じゃあ習います…という感じ」
夢中になれた理由を「サッカー、野球は見よう見まねで出来たけど、バレエはそうはいかない不思議な世界だった」とした上で「バレエを習っている感覚はまだなかったけど音楽はクラシックで、バーを使って特別な感じがした。うまくなっていくし、2回転より3回転回れることが面白かった」と振り返る。
海外から来た講師の目にとまり、留学が決まったのは高校生の時だった。
「海外にはいつか出たいと常日頃、早い段階から思っていた子どもでした。映画などを見てかっこいいなと思っていた。今思い返すと、ロイヤル・バレエ・スクールの本が出ていたりして『こんなところに行くのか』とは思っていました」
★英名門留学「オール5」
16歳で若手の登竜門、ローザンヌ国際バレエコンクールでゴールドメダルを日本人で初受賞した。当時は英国のロイヤル・バレエ学校に留学し、2歳上のクラスにいた。通知表は「オール5」だったものの「よく怒られていた」と笑った。
「親の目もなくて浮かれているし、言葉をしゃべれないことを良いことに、はっちゃけていたので目をつけられて。手紙で『息子さんはやんちゃすぎるので、このままだと送り返しますよ』って書かれてね。高校も行かずに高いお金を出して行って、3カ月で追い返されるという話には、両親も近所に合わせる顔がないと古風な感じでさらに怒られましたよ」
当時の経験について聞くと「取材を受けるとたくさんフラッシュバックするよ」と笑顔を見せた。
「オーディション用紙を送って返事がきて、それを通訳さんに出してから戻ってくるまで合格かわからずドキドキした10日間とか。説明会に行った日のことも覚えています。“昨日のように”とは言わないけど記憶は鮮明。留学中は、技術的な面で言うと出来上がっている感じはあったかな。メンタルは別だけど」
★51歳「引退宣言しない」
欧州の第一線で活躍し、93年に英ロイヤル・バレエ団の最高位ダンサー、プリンシパルに上りつめた。その後、27歳で「K-BALLET COMPANY(現K-BALLET TOKYO)」を設立した。
「自分が輝ける額縁が欲しいと思った。他のバレエ団でも輝けたけど、理想とは程遠いと思って、自分で理想に近いものを作りたいと立ち上げました」
同バレエ団ではダンサー、芸術監督、振付家、そして社長としてバレエ界に尽力してきた。これまでを「苦労を苦労と思っていないというか。表現者として感情の起伏がある方だから、出したら持ち越さない。その繰り返しで吐き出しているから苦労がないと思えるのかな」と明かした上で、ダンサーと芸術監督の立場の変化をこう答えた。
「ダンサーの時は常に主役で舞台に立っていたから、自分の作品が見られなかった。たまに自分以外のダンサーが主役で踊ることがあると、客席から舞台を見られてうれしかった。“自分の作った世界、カンパニーがこう見えるのか”と俯瞰(ふかん)で見られてね。昔は体力が有り余って、汗をかいて終わったら、フェラーリ買いに行くのも楽しかった(笑い)。今はダンサーの頃とは違う満足感ですね」
自身は22年に「クレオパトラ」再演に特別出演。引退宣言はしないという。
「お姫さまじゃないから(笑い)。お花をもらってスポットライトを浴びてみんなから拍手もらうのは性に合わない。バカと天才紙一重というか、繊細さと大胆さ、常にどこかの真ん中にいる感じ」
同バレエ団のほか、子どもから趣味の大人の教室まで教室を展開、講師の育成にも尽力する熊川に今後の展望を聞いた。
「バレエ団では、常に新しい作品を世の中に提供して、心を満たし続けたい。一方でスクール運営には信念が必要。今の子どもの教育を怠ると、その子の孫たちは22世紀を生きる。だからSNSなどに打ち勝つ感受性、感性を持つ子どもたちを世に送り出したい。健康的な喜怒哀楽を出せるように。息苦しい時代になってふさぎ込むところを、僕みたいに解放させてあげたい」
世界的バレエダンサーは今後も若手に闘う背中を見せながら、挑戦し続ける。
◆熊川哲也(くまかわ・てつや)
1972年(昭47)3月5日、北海道生まれ。10歳でバレエを始め、89年に第17回ローザンヌ国際バレエコンクールに出場し、日本人初となるゴールドメダルを受賞した。同年英ロイヤル・バレエ団入団、93年プリンシパル。99年に「K-BALLET COMPANY」を創立。芸術監督を務め、多くの作品を上演している。13年紫綬褒章のほか、橘秋子賞特別賞、朝日舞台芸術賞・舞台芸術賞なども受賞。
◆「眠れる森の美女」
誰もが知る物語をベースに、驚くべき発想で創造した独自のストーリー構成。名だたる古典バレエを鮮やかに生まれ変わらせてきた熊川哲也が、大胆なアプローチで全く新たな古典の世界を生み出す。東京公演(10月8日初日)のほか、大阪、福岡でも上演される。