宝塚歌劇名曲の数々を生んだ作曲家、寺田瀧雄さんの没後20年メモリアルコンサートが大阪、東京で開催される。出演する元雪組トップ杜けあきが、リモートで取材に応じ、公演への思いを語った。公演は26、27日に大阪・梅田芸術劇場で、7月1、2日に東京・Bunkamuraオーチャードホールで行われる。

 ◇  ◇  ◇

宝塚歌劇団専属の作曲家として「ノバ・ボサ・ノバ」「ベルサイユのばら」などの楽曲を手がけた寺田瀧雄さんは、00年に亡くなった。昨年、没後20年コンサートを予定していたが、コロナ禍で延期されていた。

杜 タカラジェンヌはみんな運がいいので、いつかは…と。(上演)当時の楽曲を、当時の皆さんが歌われる。初演の皆さんがベルサイユのばらとか-。出演者の中でも、そういう楽しみもあります。名曲、大曲の数々。寺田先生はすごい。すばらしい財産です。

杜も「ベルサイユのばら」にあこがれ入団した。

杜 宝塚って代々、リングのように…100年以上つながっている世界。きっかけになった思いが必ずある。出演者にとっても、至福のひとときだと思います。

寺田さんとの初対面は、宝塚音楽学校の受験時。

杜 真ん中に試験官で座っていらして。すぐ歌わなきゃいけない「新曲」が、全然できなくて、9回やり直したんです。先生も3回ぐらいであきらめてくれればいいのに(笑い)。9回目に、寺田先生が「もうけっこうです」って。落ちたって思いましたね。

入団後、歌を磨き、関わりも深まった。

杜 3年目ぐらいの時、稽古で30~40人ぐらいで歌っていたら、先生が「歌は何やと思う」。私が「歌は心です」と答えたら、先生はニヤリと笑って「違う。歌は音程や」。実は非常にに深い言葉だな、と。

以来、「きちんと音程、譜面を歌うことは、作曲家の先生への礼儀」と考えるようになったという。芝居のセリフもしかり。

杜 「てにをは」を変えないとか、演者としての礼儀。歌でも、それができて初めて心が入って、練って「自分らしさ」が出せて「自分の歌」になっていく。  自分のために歌が書き下ろされることもある。

杜 (寺田)先生が自分のために書いてくださったことも。できあがるたび、感動し、本当に鳥肌が立ったことも。それぐらい、歌う私たちの心も捕まえてくれた。先生が生きていたら、今年90歳。(生涯)3000曲ですけど(存命なら)5000曲は…。もっともっと、聴きたかった。

昨年のすみれプロジェクトからも1年が過ぎた。

杜 まだまだ先が見えない。その中でコンサートをやれる意義はある。宝塚って、やっぱりちょっと、芸能界の中でも特殊な世界。(小林)一三先生がお作りになられた「清く正しく美しく」の通り、現実離れした世界を表現し、お客様をその世界へいざなう。昔も今も、そんな使命があると思っていましたが、昨年(すみれ-でOG一体となり)あらためて思いました。

この1年で学びも。

杜 変な言い方ですけど、宝塚に入ってから初めて普通の生活を(笑い)。40年以上ぶりぐらいに、もう父は他界しましたけど、家族のもとへ。ひとりじゃないって思えることは、とっても大切。話すこと、笑うこと、その相手は絶対に必要で、1日が穏やかに終わる幸せを経験しました。

コロナ禍以前の刺激的な生活も「自分を肥やし、成長させてもらうにはすばらしいこと」としながらも「普通の尊さ」を再認識。

杜 若い人たちが人に、仲間に会いたい気持ちは痛いほど分かります。でも今回、リモートでこうして取材をしていただいている。すみれプロジェクトだって、全員が自宅から歌を入れてまとめた。工夫は無限であることを学びました。

それでも「生」「ライブ」の興奮は格別という。

杜 こないだ、1年半ぶりくらいにライブで歌ったんですけど、自分でもびっくりするほど、お客様がいることにときめいたんです。ライブの醍醐味(だいごみ)なんだなって。

客席の拍手、手拍子が緊張感さえ和らげた。

杜 お客様との交流があって、不思議な高揚感があり、熱くなって。お客様のパワーって、すごい…。この熱いステージは、お客様なしでは考えられない。

コロナ禍が落ち着いた将来、OGが集い、名曲を歌う企画を定期開催したい思いもある。「そういう楽しみができました」とも話している。【村上久美子】

<思い入れも格別>

寺田さんは00年7月に亡くなったが、その年の3月に作曲家40周年記念コンサートが行われ、杜も出演していた。縁も深く、今公演への思い入れも格別。今回は、トップ時代の「パラダイス・トロピカーナ」「スイート・タイフーン」や、芝居では源義経を演じた「この恋は雲の涯まで」の主題歌、「忠臣蔵」から「花に散り雪に散り」などを歌う。昼夜、日ごとに構成を変え「どれもお見逃しなきように」と言う。

◆寺田瀧雄 没後20年メモリアルコンサート All His Dreams“愛” 宝塚歌劇団の作曲家として、「ノバ・ボサ・ノバ」「ベルサイユのばら」「星影の人」「あかねさす紫の花」「夜明けの序曲」など、約3000曲を送り出した寺田瀧雄さん。“宝塚のモーツァルト”とも呼ばれた。OGや現役生が、寺田メロディーを歌いつなぐ。第1部はショー作品から、第2部は植田紳爾氏、柴田侑宏氏の作品の中から、日替わりで代表曲が披露される。

☆杜けあき 1959年(昭34)7月26日、宮城県仙台市生まれ。79年、宝塚歌劇団入団。88年雪組トップ就任。92年「忠臣蔵~花に散り雪に散り~」は、旧宝塚大劇場最後の公演に。93年、同東京千秋楽で退団した。女優に転身し、ミュージカルなど舞台、テレビでも活躍。昨年、医療従事者をねぎらう「すみれプロジェクト」で、OGが「すみれの花咲く頃」を歌い継ぐ企画を呼びかけた。身長165センチ、血液型AB。