芸能生活50周年を迎えた落語家、桂文枝(74)が13日、大阪・MBSで、月1回レギュラーの同局ラジオ「桂文枝の茶屋町ホテル」を90分特別番組として生放送を終え、12時間半の“マラソン同局ジャック”を完走した。

 この日は、午前8時スタートの同局ラジオ「ありがとう浜村淳です」から、各番組を“ハシゴ”し、合間に同局テレビ生出演もはさみ、午後8時半終了の「-茶屋町ホテル」で“マラソンジャック”を終えた。

 文枝は先代の5代目桂文枝さん(故人)に入門半年ほどで、MBSラジオ「ヤングタウン」に抜てき。ここからテレビ、ラジオで大活躍し、スターダムを一気に駆け上がった。

 きっかけは、師匠の先代文枝さんが、当時のMBSラジオスタッフから、番組出演を頼まれ、文枝に「行ってこい」と軽く促した一言だった。そこから好評を得て、レギュラーに定着。文枝は「年季も明けてない僕を師匠が行かせてくれなかったら今はない。今日、放送中に何度かウッと(胸が詰まる思い)がありました」と話した。

 ワンチャンスを物にしての大成だった。その背景を聞くと、関大を経て23歳での入門と遅咲きだったことをあげた。

 「年下の先輩もたくさんいて、とにかく『売れたい』との思いが強かった」

 当時、ほかにも、師匠の先代文枝さんのラジオ企画で、コント制作があり、文枝は自分の考えを師匠に提案。「今思えば、あれが僕に物を作る力をつけてくれた」と言い、後に創作落語の第一人者へと成長できた理由も、感慨深げに自己分析した。

 50周年の今年、在阪のテレビ各局では特番企画が設けられたが、文枝にとってデビューの戦場だったラジオでは、今回が初めて。ラジオでの周年企画にあたっては「故郷に帰ってきたような感じ」と表現した。

 この日は、50年前の音源も流されたが、現在とほぼ変わらない声質で、文枝はこれにも照れながら「僕は辛い物、一切とらないんです。からしもわさびも、タバスコ(ペッパーソース)とかも。今も寝る時はマスクして、首をあっためてますし、毎日ね。ほんと、ちょっとずつの積み重ねです」と話していた。