「ザ・フォーク・クルセダーズ」メンバーの故はしだのりひこさん(享年72)の葬儀・告別式が6日京都市内で行われ、最後は杉田二郎(71)が音頭をとり、参列者約600人で「風」を合唱し、見送った。

 「自分たちが通った道にはエネルギーとか、落としてきてるような気がするけど、実際、振り返ったら何もない。確認しながら前へ進むだけ。そんなメッセージが、のりちゃん(はしださん)らしい。誰ともなく、みんな『風』で見送りたいと思っていたはすです」

 杉田は式を終え、合唱の経緯、理由、込めたメッセージを説明。「はしだのりひことシューベルツ」メンバーとして「風」を歌い、本格的に音楽人生をスタートした杉田は「これからも大切に『風』を歌わせていただきたい」と約束した。

 この日、正午に始まった告別式。音楽関係者や知人以外にファンも多数訪れ、無宗教形式で進行。焼香に代わって、メッセージカードを棺に納める形式で進み、続いて、フォークル時代の盟友きたやまおさむ(71)が、映像でメッセージ。きたやまは仕事で前日の通夜、この日の葬儀には出席できず、3日に訪れ、はしださんと対面。メッセージでは「風」の詞を朗読し、「かける言葉はこれしかない」と語った。

 きたやまのメッセージに続き、ギターを手にした杉田が祭壇の前へ進み「最後に大声で、思いっきり歌って、のりちゃんを見送ってやってください」。こう呼びかけ、はしださんの高校の同級生で最初のバンド「ドゥーディ・ランブラーズ」仲間だった藤原洪太さん(72)田平義昭さん(73)らとともに、「風」を歌い始め、大合唱へと発展した。

 杉田は「のりちゃん」とはしださんを慕っていたが、実際には「師匠のような存在」だったという。はしださんらの「フォークル」をきっかけに、京都市内に起こった空前のフォークブーム。杉田も「ジローズ(初期)」を組み参戦していたが、多くのグループがいる中で、実質的な「要の方」がはしださんだった。

 杉田は「あのころ僕はあかんたれで、のりちゃんから『思いっきり魂を込めて歌え』とか、しかって、アドバイスをもらいました」。はしださんは自分の信念に合わない音楽、活動の仕方には一切迎合せず「あっちがおいしそうやなと思っても、ダメ、違うよ。自分たちは何をやるのか、スピリットが強かった」と、杉田は振り返る。

 歌には厳しかった一方で、素顔は「優しくて、(年下だが)呼び名は『のりちゃん』でいいと。温かい人でした。今日この瞬間、亡くなったという現実を受け止めるしかない」と唇をかんだ。

 また葬儀には、長女が劇団時代の先輩にあたる俳優志賀廣太郎(69)も訪れ、仕事で京都に来た際には、自宅に泊まり、食事会なども同席。「楽しい気分のまま、ずっと生きているような人でした」と話した。

 志賀は現在、ドラマ「陸王」でも名脇役ぶりを発揮しているが、10月末に緩和ケア病棟に移ったはしださんは、病床でも「陸王」を見ていたという。

 志賀は「夏に2度ほど、お見舞いに行って、また来ますと言ったまま、実現できなかった。それが残念。今はただただ、ゆっくりお休みくださいと言いたい」と話していた。