今月10日に渡哲也さんが亡くなりました。78歳でした。ニッカンスポーツコムでは、日本を代表するスター俳優の秘話や素顔を紹介する連載「知られざる渡哲也」を配信します。第1回は「錦織圭に見せたオジサンの顔」です。

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今から8年前の秋。渡哲也さんから携帯電話に連絡が入った。「今度の日曜日はスケジュールは空いているかな。ぜひ付き合ってほしいことがあります」。ちょうど芸能デスク業務は非番の日。「大丈夫です」と答えると「じゃあ責任を取ってもらうからね」と笑っていた。聞けば、テニス錦織圭選手が出場するチャリティーマッチに行くので、有明コロシアムで一緒に観戦して欲しいとのことだった。

実はその4年前、渡さんと錦織選手が遠縁の親戚らしいという情報が入り、確かめようと連絡した。渡さんの祖母と、錦織選手の曽祖父がきょうだいにあたるという。「最近分かったことで、これまでまったくお付き合いがなかった。錦織さんに迷惑をかけるかも知れないから」と記事の掲載に難色を示した。説得するため自宅を訪れ、少々強引に取材すると「あとは任せるけど、本当に迷惑にならないのかな」と日本テニス界のエースを気遣った。「責任を取ってもらう」とは、その時の「貸し」を指していた。

試合当日、ベースボールキャップをかぶり、カジュアルな装いで関係者入り口に現れた。親戚であることが判明してからも、世界を転戦する錦織選手と直接会う機会はなかった。錦織選手の父親から招待を受け、ようやく対面が実現することなった。

到着してそのまま観客席に移動した。試合が始まると視線はコートに集中した。初めてのテニス生観戦。ポイントを奪うと「よしっ!」と歓声を上げ、スーパーショットを披露すると「すごいねえ」と感心した。ルールを含め、テニスはあまり詳しくなかったが、貴重な時間を心から楽しんでいた。

試合後、選手控室で初対面した。錦織選手が米国生活が長かったので出演作を見たことがあまりないというと「そりゃそうだ」と笑った。その後「ホームシックにならないの?」「練習はきつい?」「いつからテニス選手になろうと思った?」と矢継ぎ早に聞く。どちらかと言えば寡黙な渡さんが、若者を質問攻めにする様子がおかしかった。

なごやかな談笑は20分ほど続き、次の試合に向かう時間になった。渡さんは「体調は大丈夫か」と気遣った後「ちゃんとゴハンは食べているのか」と聞いた。すると、おもむろに内ポケットからパンパンに膨らんだ茶封筒を取り出して「これでうまいものでも食べなさい」と手渡した。

当時からトップランカーとして活躍し、年間約50億円の収入を得ることになる若者に向かって「食っていけるのか」と心配する渡さん。トップクラスのテニス選手がどれほどの年収を得ているのか知らなかったこともあるが、目を細めて「頑張りなさい」と言って“お小遣い”を手渡す姿は、かわいい甥っ子や姪っ子を心配する、どこにでもいる親戚のオジサンそのものだった。【松田秀彦】