音楽プロデューサーの酒井政利さんが16日午後7時5分、心不全のため都内の病院で死去した。85歳だった。葬儀は近親者で済ませた。お別れ会などは故人の遺志で行わない。

山口(三浦)百恵さんや郷ひろみ、南沙織、矢沢永吉、松田聖子ら350人(組)以上のアーティストの作品を手掛けた。「愛と死をみつめて」(64年、青山和子)と「魅せられて」(79年、ジュディ・オング)で日本レコード大賞を獲得した。映画や舞台にも関わり、テレビの情報番組のコメンテーターとしても活躍した。

酒井さんは5月末に持病のアレルギー疾患で検査入院した。疾患は改善したが、体力を消耗していたため回復のため入院していた。順調に過ごしていたが、16日に急変して亡くなったという。酒井さんが社長を務めていた酒井プロデュースオフィスでは「亡くなった当日に急に容体が悪化したと病院から説明を受けました」と話した。

酒井さんは歌謡界大全盛を演出した屈指のプロデューサーだった。プロデュースをひと言で表現すると「混(こん)」で「意外なものを混ぜないといけない」と話した。郷ひろみのヒット曲「よろしく哀愁」は、郷の明るさとは合わない「哀愁(もの悲しさ)」を「よろしく」でつなぎ、新鮮な作品にした。日本レコード大賞曲「魅せられて」は、ジュディ・オングの清楚(せいそ)なイメージとは裏腹に、テーマは“女性の性”だった。

どういう人と出会うかを大切にした。取材で「人間関係は51対49が理想」と話した。「自分が30だと見下される。50対50だとぶつかる。どっちが51でも、51対49の関係がいい」と話した。どんなアーティストでも対等に話し合った。すでに大御所だった淡谷のり子さんが「若手は全部(歌手ではなく)歌屋だ」と言ったことに反発。テレビの生番組で淡谷さんに「養老院歌手」と言った。対等さはどんな相手でも貫いた。

山口百恵さんについて「1時間話すだけで丸1日しゃべったように感じた。彼女は表情でものをしゃべっていた」と明かしたことがあった。引退した百恵さんの復帰を仕掛けているのではとよく言われた。そのたびに「娘が異国に嫁いでいった気分です」と話した。今度は酒井さんが天国に旅立った。

◆酒井政利(さかい・まさとし)本名同じ。1935年(昭10)11月17日、和歌山県生まれ。立大卒。映画会社の松竹から日本コロムビアを経て、68年のCBSソニー設立と同時に入社。寺山修司作詞の「時には母のない子のように」(69年、カルメン・マキ)は同社のミリオンセラー第1号。テレビ朝日系「スーパーモーニング」やTBS系「ブロードキャスター」などのコメンテーターとしても活躍。05年に文化庁長官表彰。20年11月に文化功労者として顕彰された。

<悼むコメント>

■歌手ジュディ・オング(71) どれだけ泣いても、涙が止まりません。歌手としての私を信じて制作してくださった「魅せられて」は、私の宝物です。残された者が輝いて歌うことが一番の供養であり、喜んでいただけると思い、歌い続けていくつもりです。

■歌手太田裕美(66) デビュー曲「雨だれ」のレコーディングにも立ち会ってくださった。優しい方でした。