フリーアナウンサー古舘伊知郎(66)が、16日に単行本「MC論」(ワニブックス)を出版する。テレビの司会として1960年代から活躍した故大橋巨泉氏をはじめ、タモリ、たけし、さんまのビッグ3、とんねるず、ダウンタウン、中居正広、みのもんた、関口宏、小倉智昭、黒柳徹子、安住紳一郎、羽鳥慎一、村上信五などを取り上げ、その手法、影響力などを分析した“交友録”でもある。

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テレ朝のアナウンサー時代、27歳ぐらいでプロレスの実況がブレークして、吉本に誘われたんです。吉本の東京支社長の木村(政雄)さんに「うちも、そろそろお笑いだけじゃなくてね。アナウンサーとか、そういうジャンルを広げていきたい。ついては東京支社所属になってもらえないか。ぜひ、ほしい」って。すごくうれしかったんです。

独身だしね、やめちゃうかなと。それで、(明石家)さんまちゃんとなんかの番組で一緒になって、廊下ですれ違って。同世代ですから。テレ朝の廊下に明かりが灯ったちっちゃい個室があって「黒柳徹子」って書いてありました。だから「徹子の部屋」の収録で来ていたんでしょうね。

それを横目で見ながら、さんまちゃん捕まえて立ち話で「実は吉本から、こうやって木村さんからお誘いを受けていてどうしたらいいですかね」って言ったら「やめなはれ~っ!」って。「どのくらいの歩合か知ってますか」「五分五分ですか」「一九」「一もらえるんですか」「いや、無理やなぁ、やめなはれ」。本気で言ってくれたみたいですね。

やっぱり、それが吉本の理想だと思うんですよ。どんなに移り変わろうとも、芸人に規制なしと。言うだけ言って笑いに転化するなら、全部商売や~っていう。その懐の深さ、それが近代経営になってきて、闇営業うんぬんとか、いろいろな話は出てくると思いますけど。そんな時代です。芸人、言い放し。それも商売やって。だからさんまちゃん本気で言ってましたね。「ジャンル外やし」と。

僕なんかも、NHKで売れてる若いアナウンサーが「民放から内々に引きがあるんですけど、どうですか。いいですから」と聞かれたら「やめなはれ」って言いますからね。NHKと言う、いまだに世はうつろっていても、堅めが支配してる空気感の中のスタジオで、ちょい横道それるさじ加減、あんばいの素晴らしさが、民放というところで野に下って来た時にかすんじゃうってあるじゃないですか。

だから、NHKだから映えることがある、いくらNHKの民放化が進んでもいけないよと。生まれたところで咲きなさいって、いうことなんですよ。さじ加減があるんだから。そういう感じでやって、自信を持ったらやめなさいと。今のアナウンサーだった吉本入っても、全然問題ない。時代がグローバルになったから。その当時はグローバルになってないわけですから。そうか、こんな売れてるさんまちゃんがね、あんな風に真顔で本気で言ってくれたことに感謝でしたね。ワクチン打つのと同じくらい半信半疑だったが。

で、ある時、また2週間ぐらい後に、桂文珍さんが番組で俺の実況をすごく褒めてくれたんです。「古舘伊知郎ってアナウンサー、おもろいわ」って言ってくれて。当時は、あんまりよく知らなかった。後にNHKの「日本人の質問」でご一緒するんですけどね。廊下ですれ違って「文珍さん、古舘と申します。この前番組でね、なんか褒めていただいて本当に感謝です」と。

「あんた、おもろいわ~、今度、僕の番組のコーナーにも出て」と言われて「万障クリアして行かせてもらいます」と。それで「実は吉本の木村さんから、お誘いいただいて」って言ったら「やめなはれ~っ!」って、さんまちゃんと全く同じせりふ。それで、決意を固くしてお断りしました。今から37、38年前の話です。

(続く)

◆古舘伊知郎(ふるたち・いちろう)1954年(昭29)12月7日、東京都生まれ。立大卒業後の77年にテレビ朝日入社。同8月からプロレス中継を担当。84年6月退社、フリーとなり「古舘プロジェクト」設立。85~90年フジテレビ系「夜のヒットスタジオDELUXE、SUPER」司会。09~94年フジテレビ系「F1グランプリ実況中継」。94~96年NHK「紅白歌合戦」司会。94~05年日本テレビ系「おしゃれカンケイ」司会。04~16年「報道ステーション」キャスター。現在、NHK「日本人のおなまえ」(木曜午後7時57分)司会など。YouTube「古舘Ch」。14日の徳用・渋谷区文化総合センター大和田古さくらホールから初の全国ツアー「古舘伊知郎トーキングブルース2021」がスタート。血液型AB。