コメディアン、ぜんじろう(53)が20日に東京・下北沢の小劇場・楽園で開催される公演「スタンダップコメディGO! Vol.2」(午後6時30分開演)に出演する。他に清水宏(55)、ラサール石井(66)、インコさん(45)が出演する。90年代前半に「平成の明石家さんま」としてブレークした、ぜんじろう。スタンダップコメディーの旗手となるまでの歩みを聞いた。

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東京の芸能界になじめないまま、1998年(平10)に活動の場をアメリカへ。米国シカゴを拠点にスタンダップコメディーを演じていく。

「成功か失敗かで言うと、他人から見ると失敗ですけど、僕にとってはある種、成功でもあるわけです。世間の評判にあせりはありましたけど、いらだちはあるんですけど、自分がやってることに対しては人と比べることはないです。そういう捉え方なんで。でも、大変でした、いろいろと。それなりにへこむことも多いし」

日本では若くして売れっ子になった。アメリカでは無名の存在から始めた。

「ビザの問題もあって、稼げない。あせりはありました。でも、アメリカ人の彼女ができたんです。ビザから何から全てのことを、彼女のお父さんにやってもらいました。シカゴに住んで、コメディークラブのレギュラーをもらいました。日本人だから、エイジアンやったから、ちょっとかわいがられたし、ちょっといったんです。一流のフェスティバルとかにもスタンダップコメディーグループとして出て、そこかなと思った。それで、結婚しようかどうのこうなったんすけど。あ、僕は間違うてた、と。全く夢がないと思って。それで結婚も破談。現実にパッと戻って、いや~ビックリしましたね。なんか言い表せない現実が。夢を見てたんだと思って。何もないんだもの、僕は」

01年、アメリカから帰国。海外で仕事がある時は、日本から出向くスタイルにした。

「そっからフェスティバルがある度に、ちょくちょく行ったんですけど、もう癖で行ってるだけだった。そっから次に、ロボットと漫才をするんです。33歳から40歳くらいです。とうとう頭がおかしくなったと言われましたよ(笑い)。M-1にも出たんですよ。僕の性格が大きいでしょうけど、審査員をむかつかせてしまったんですよ。『お前ごときが、そんなことすんなよ』というのがあって1回戦で負けたんです。『何でなんですか』って言ったら『そんなもん作ったら、誰でもウケるがな、そんなことしたら』と言われて『ものすごいですね、誰でもウケるんですね』って言っちゃうんです、僕。まあまあ、反骨精神もあるんですけど。そこで、そんなことないですよって言ってたら、ええんやけど。失敗しましたね。そっから、ずっと戦いですよ。でも、ショックやったのは、アメリカから帰ってきた、弱い僕をいじめて喜ぶ人が多いんやと思って。アメリカから帰ってきて、もっと気がつきましたよ」(続く)

◆ぜんじろう 1968年(昭43)1月30日、兵庫県姫路市生まれ。大阪芸大芸術学部デザイン学科中退。87年、上岡龍太郎に入門、吉本興業に所属。88年月亭かなめとの漫才コンビ、かなめ・ぜんじろう結成。同年、今宮子供えびすマンザイ新人コンクールで福笑い大賞。89年(平元)、ABCお笑いグランプリで最優秀新人賞、上方漫才大賞新人奨励賞も、解散してピン芸人に。92年、毎日放送「テレビのツボ」司会でブレーク。95年「超天才・たけしの元気が出るテレビ!!」。98年渡米。01年帰国。170センチ、57キロ。