第94回アカデミー賞授賞式が、27日(日本時間28日)に米ロサンゼルスのドルビー・シアターで行われた。濱口竜介監督(43)の「ドライブ・マイ・カー」が、邦画では09年の「おくりびと」(滝田洋二郎監督)以来13年ぶりとなる国際長編映画賞を獲得し、日本に明るいニュースをもたらした。
一方で、「ドリームプラン」に主演し、3度目のノミネートで悲願のオスカーを獲得した米俳優ウィル・スミス(53)が、脱毛症に苦しむ妻のジェイダ・ピンケット・スミス(50)をネタにしたプレゼンターのコメディアン、クリス・ロック(57)にビンタを張った。授賞式中の檀上で暴力がふるわれたという、前代未聞の事態に揺れるアカデミー賞を現地で取材した、ロス在住の千歳香奈子通信員と、かつて同通信員と授賞式をタッグで取材した経験がある村上幸将記者が、大揺れのアカデミー賞について語り合い、総括した。
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村上 これまで取材を続けてきた濱口監督と「ドライブ・マイ・カー」のオスカー獲得を心から喜びたいという思いが、ウィル・スミスの右ビンタ1発で、完全にぶち壊しにされた思いです。
千歳 これまでも、授賞式で、こういった“やらせ”は、なきにしもあらずだったから…見ていた人も最初は絶対に台本にあった演出だと思ったんですよね。
村上 僕は“やらせ”とは思いませんでした。生中継を見ていて、あれだけ大きな「ボコッ」という音をマイクが拾ったのだから、力いっぱい、拳で殴ったのだろうと…。その後、よくよく見ると右平手でのビンタだったわけですが…。スミスは、01年の映画「ALI アリ」で伝説の世界ヘビー級王者ムハマド・アリさんを演じただけあって、さすがに速く、力強い一撃でしたね。ロックも、そのことを引き合いに「アリに殴られたけどケガはない」とジョークを飛ばしましたね。警察に被害届を出すことは拒否したそうですが。
千歳 最初は、スミスも笑っていたし…ピンケットは横で引きつった顔をしていましたけど、私も“やらせ”だと思いました。
村上 それにしても…実現はしませんでしたが、ロシアに侵攻されているウクライナのゼレンスキー大統領が、オンラインで登場する可能性を米メディアは幾度か報じていました。ベネディクト・カンバーバッチらノミネートされた俳優たちも、ウクライナ国旗の青と黄色のバッジなどを着けました。侵略=暴力を許さない姿勢を、映画の力で世界に発信していくはずの授賞式の檀上で、暴力がふるわれた。しかも、やってしまったのは、主演男優賞でオスカーを獲得した、世界的な俳優…本当に皮肉なものだと思います。
千歳 米国内では、スミスに同情的な声もありますが、一方でロックを擁護する意見も、同業者の間では結構、多いです。やはり、何があっても暴力に訴えることは許されないというのが1番で、あとはロックはジョークを言うのが仕事なんだから、スミスも大人の対応しろよ、みたいな…。
村上 脱毛症に苦しんだ末に丸刈りをした、ピンケットをネタにしたロックは、確かに悪いです。スミスがビンタをした根底に、妻を守ろうという気持ちがあったことも、分からないではないです。おとこ気がある、などと称賛する声もありますが…やはり、手を出したのは悪いですよ。
千歳 百歩譲って、妻を守るためだったとしても、主演男優賞の受賞スピーチの中で愛について語り、それに対して、会場内でスタンディングオベーションが起きるのも、いかがなものかと。
村上 スミスは「ドリームプラン」で演じた、テニスのウィリアムズ姉妹の父リチャードを引き合いに「クレイジーな父親のように振る舞った。愛情によってクレイジーな行動に出るもの」などとスピーチしましたね。
千歳 スミス本人にとっても、3度目のノミネートでつかみ取った悲願の初オスカーが、あのビンタで台無しなったというか…。スピーチで涙を流して愛について語られても、お前が言うなよ、冷めちゃうよ。っていう人はいたと思います。アーノルド・シュワルツェネッガーの元妻のマリア・シュライバーのツイート
「世界中にテレビ中継されている中で映画スターが誰かに暴力をふるい、その後に受賞して愛について語り、スタンディングオベーションを受けるようなことがあってはいけない」
が、的を射ているかと…。
村上 妻のことをバカにされて頭に血が上ったにしても、ロックにビンタするくらいなら檀上で怒りつつ、妻が丸刈りにした理由を語った方が良かったのでは?
千歳 同感です。どうしても殴りたくなったのであれば、その代わりにロックからマイクを奪って発言すれば、大人の対応だったのかと。コメディアンの間からは、今回のスミスのビンタで、ジョークを言うたびにステージに乱入して殴られかねない、みたいな意見もあるようです。
村上 全世界に生中継&配信されている以上、一定の台本はあったでしょうし、コントにしても完全にアドリブではないでしょう?
千歳 どこまでがアドリブなのかは不明ですが、ミラ・ファローも「ジョークがロックの仕事」と言っているように、これまでもオスカーも、司会者が出席した俳優をいじることが多かったわけで…。しかも、ロックが、ピンケットをからかったのは今回が初めてではないんです。16年の授賞式は、俳優部門に黒人俳優が1人もノミネートされておらず、スミス夫妻は抗議の意味で授賞式をボイコットしたんですが、司会を務めたロックは「ピンケットがボイコット? そもそもノミネートされてないじゃないか」と、ジョークのネタにしていたんです。
村上 ロックが以前にもスミス夫妻をネタにしていたのなら、今回だってネタにする可能性はあったでしょうし、進行台本を作る担当者だって想定できたでしょう?
千歳 ロックがプレゼンターになった以上、主催者側もある程度の、いじりがあることは承知し、予想していたでしょうし…。だとすれば、まさかスミスが殴るとは思っていなくても、面白くなれば視聴率が取れるくらいには思っていた? とも考えちゃいますね。
村上 主催のアカデミー側に甘さがあったのでは?
千歳 スミスのような世界的なスターであったとしても、なぜ簡単にステージに近づいて上がっていける環境だったのか、という疑問の声も出ています。なぜ、セキュリティーがいなかったのかとか、アカデミー側に不測の事態に対する対策がなかったことも、議論され始めているようです。
村上 千歳さんと僕が一緒に取材した14年の授賞式では、司会のコメディエンヌ、エレン・デジェネレスが式の最中に、ドルビー・シアター近くの宅配ピザ店「ビッグ・ママズ&パパズ」からピザを注文し、ステージ上に届いたことが大きな話題となりました。ピザが届くと、ブラッド・ピットらが皿を配り、俳優たちが食べて一緒に撮った集合写真も、世界中にニュースとして流れました。俳優同士の自由な掛け合いも授賞式の大きな魅力です。それが、ステージ脇に警備員を常駐させたりなどしたら、果たして同じように自由度とエンターテインメント性が高い演出、進行が出来るでしょうか?
千歳 スミスの暴力に対する、ロックの対応は至って冷静でした。授賞式を滞りなく続けるために、ビンタされたことを「テレビ史上最高の場面でしょう」と述べた機転は、さすがだと米CNNに出演したジャーナリストも評価していました。あれがなければ、その後の授賞式は結構、大変な感じになっていたかも…。
村上 ロックの気の利いたコメントで、何とかアカデミー賞授賞式のエンターテインメントとしての側面が保たれたと僕も思います。カンヌ、ベルリン、ベネチアの世界3大映画祭も現地で取材しましたが、それらとアカデミー賞授賞式の決定的な違いは、単に映画の作品性で優劣を競うだけではなく、アカデミー賞がエンターテインメント性も争う、世界最高峰のエンタメの祭典である、ということだと思うのです。
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千歳 それにしても…Apple TV+の映画「コーダ あいのうた」が、大手配信プラットフォームの作品として初の作品賞を受賞しました。助演男優賞を受賞したトロイ・コッツァー(53)も男性ろう者として初のオスカー受賞、シアン・ヘダー監督は脚色賞も受賞し、ノミネートされた3部門全てで受賞しました。そんなな快挙や「コーダ」という作品自体の素晴らしさが、全てスミスに持って行かれた…しかも、それがビンタ、暴力でなので、非常に残念だったなあと…。
村上 おっしゃる通りですね。「ドライブ・マイ・カー」の快挙についても、千歳さんにはロスから濱口監督、西島秀俊さん、霧島れいかさん、岡田将生さんの、喜びと感動にあふれたコメントを、たくさん伝えていただきました。僕も、取材を継続する中で濱口監督から伺った、決して順風満帆とは言えなかったキャリアと、その中で目を開かされ、突き詰め続けた東京芸大大学院映像研究科の師・黒沢清監督の教えについて原稿を書きました。ただ…そうした一連の報道も、スミスのビンタの件で、図らずもトーンダウンしてしまった感もあり、残念に思います。
千歳 スミスが、オスカーを返却すべきという意見も出ているみたいですが、おそらくロックは、これからも被害届を出すことはしないと思うので、事件にはならないと思います。ちなみにスミスは、ビンタした後、クリス本人に直接、謝罪はしなかったですが、授賞式後は米国の月刊誌「バニティ・フェア」のパーティーで、オスカー像を手に踊っていたみたいです。
村上 一夜明けて、インスタグラムに謝罪文をアップし「公にあなたに謝罪したいです、クリス。私は一線を越えてしまった…間違っていました」などと謝罪したとはいえ…。もし、授賞式後に、そんなことをしていたのが本当だったとしたら、残念ですね。
千歳 アカデミーがビンタの後、スミスを放送から外すことを検討していたとの関係者の証言を、CNNも速報していますし…。ところで、スミスがビンタして降壇した後「俺の妻のことを言ってるんじゃねぇ!!」とブチ切れ、放送禁止用語を連呼したため、米国の放送は音声が消されて無音になり、何だかよく分からなかったのですが…。CNNでは何と、日本語の通訳音声が入ったWOWOWの映像を、わざわざ使っています(笑い)
村上 そんなことで、WOWOWの中継が使われるのも…ねぇ(苦笑い)いずれにしろ、アカデミーは正式に調査を開始したわけで、その行方は見守っていきたいですが…。94回の歴史において前代未聞の暴力で、今後の授賞式が、エンターテインメント性を損ねてしまうような方向にいってしまうことだけは、勘弁して欲しいですね。コロナ禍の中、2年ぶりにドルビー・シアターという、あるべき場所にアカデミー賞授賞式が帰ってきたわけですから。また、ドルビー・シアターで一緒に、アカデミー賞授賞式を取材し、その楽しさを世界に発信したいですね。西島秀俊さんは授賞式前に
「なかなか行けない場所なので、いろいろなものを見て感じて、それを持ち帰って、日本の若い俳優さんやスタッフさんたちと共有してもっともっと若い世代が、ここにまた、たくさん来られるように少しでも何か伝えられたらなと思っています」
と、次世代の映画人にアカデミー賞の経験を語り継ぐ決意も示しました。その言葉が、スミスのビンタ事件で失望した、映画記者としての僕の心の支えになっています。西島さんの言葉が、近い未来に現実のものとなった、その瞬間を取材したいものです。



