「今日の自分をどう思いますか。あれで、よかったんでしょうか」

電話の向こうから聞こえてきたのは、小さく、低く、冷静な声だった。

1991年(平3)12月14日、記者は成田空港まで、企画・脚本・主演の映画「エロチックな関係」の仏パリロケを終えて帰国した内田裕也さんの取材に行った。会見では、当時交際中だった島田陽子さんとのことを聞かれて「事実じゃないことを書かれて不愉快だ。書いたやつに会ったら蹴飛ばしてやる」と“裕也節”がさく裂した。

これでこそ内田裕也! と大満足で帰社し、出稿を終えて一服していると、空港で名刺交換した音楽関係者から、指名で電話がかかってきた。

何事かと思っていると、内田さんが、今日の会見について意見を聞きたいと言っているという。当時、30歳になったばかりの駆け出し記者の意見が役に立つとも思えなかったが、内田さんはあくまでも紳士的に記者の意見を聞いてくれた。

その年の都知事選に出馬して、NHKの政見放送でジョン・レノンの「パワー・トゥ・ザ・ピープル」を歌って喝采を浴びた、ロックンローラー内田裕也とは、違う繊細な一面だった。

内田さんに樹木希林さんという配偶者がいたことから、島田さんとの仲は芸能マスコミの格好の標的になった。日本テレビ「われら青春!」の“タンチョウヅル”陽子先生、フジテレビ「白い巨塔」の大学教授令嬢、映画「砂の器」の紙吹雪の女、「犬神家の一族」の野々宮珠代と、その美しさで順調なキャリアを築き、80年には米ドラマ「将軍SHOGUN」でゴールデングローブ賞主演女優賞を獲得していた島田さんを取り巻く環境は一変した。

2人の出会いは88年の映画「花園の迷宮」だった。写真誌に追われ、豪邸や車のローンを滞納、期限切れ国際免許での無免許運転など島田さんは次々にトラブルに見舞われた。当時、乗っていたジャガーで帰宅するのを待ち、自宅前で導入されたばかりのワープロで原稿を書いたのが懐かしい。

92年にはヘアヌード写真集「キール・ロワイヤル」を出版した島田さんは、93年4月期にはTBS日曜劇場「丘の上の向日葵」に出演した。「半沢直樹」「ルーズヴェルト・ゲーム」「下町ロケット」などを生み出したドラマ枠の連続ドラマ第1作だった。小林薫主演で、その娘役を演じる美少女の葉月里緒奈が注目を浴びていた。島田さんは、丘の上の住む謎の美女を演じて、これで本格的に女優として“復帰”したと思われた。96年には、この作品で出会った3歳年下の照明マンと結婚した。

その後、2010年1月に島田さんをインタビューした。旧知の芸能関係者から連絡があり、島田さんが新たに企画、主演する映画「東京レストラン」について話したがっているということだった。

東京・内幸町の帝国ホテルでお茶を飲みながら話を聞いた。当時住んでいた長野・軽井沢から新幹線に乗り遅れたという島田さんだったが、無事に到着した。

映画は内戦の続く、中東レバノンのベイルートで逃げずに日本料理店を経営し続けた日本人女性ヴァン・つゆさんの生涯を描くものだった。島田さんがつゆさんを演じるという。

15年ぶりの主演映画となるはずの作品に、島田さんの声は弾んでいた。その3年前に80歳近い母親の介護のために空気のいい軽井沢に転居したことで、女優としての意欲が再びわいてきたという。

だが、違和感が残った。映画の企画が正式に発表になる前に、大女優がマネジャーも連れずに1人でスポーツ紙の取材に応じるのは異例だ。制作費について島田さんは「私自身が直接お金を集めるようなことはしていません」と言い切った。そこを詰めることができなかった。そして、何か疑問があったら直接、電話をしてきてくれとケータイの電話番号をもらった。

結局、「東京レストラン」が公開されることはなかった。そして、その年の秋に「島田陽子に遭いたい」という、不思議な映画が公開された。キツネにつままれたような気分だった。

昨年暮れ、東京・新宿の映画館で開かれた「角川映画祭」のトークショーに出演した島田さんを取材した。40年以上前の「犬神家の一族」の市川崑監督の思い出について笑顔で語っていた。トークショー終了後には、ロビーに飾られていた再現された当時のセットをスマホで撮影していた。今から思うと、ほおがこけてはいたが元気そうだった。

島田さんの大腸がんによる訃報が伝えられた先月25日、教えてもらった電話番号にはじめてかけてみた。「現在、使われておりません」というメッセージが流れた。

亡くなっても、スクリーンやテレビで島田さんが演じた美しさは、深く心に残っている。ご冥福をお祈り申し上げます。