第70回サンセバスチャン映画祭(スペイン)授賞式が24日(日本時間25日)行われ、コンペティション部門に出品された「百花」(公開中)の川村元気監督(43)が、初監督作品で日本人初の監督賞を受賞する快挙を成し遂げた。同映画祭は、カンヌ(フランス)ベルリン(ドイツ)ベネチア(イタリア)の世界3大映画祭に次ぐ、重要な映画祭として知られている。日本人では、11年に是枝裕和監督が「奇跡」で脚本賞、20年には「泣く子はいねぇが」(佐藤快磨)に月永雄太氏が撮影賞を受賞している。

川村監督は受賞の瞬間、会場の出席者に向けて一礼すると、両手を振ってから登壇。左手で胸を押さえて「ふうっ」と息をつくと「ムーチョ・グラシアス(ありがとうございます)」とスペイン語であいさつ。スピーチの冒頭で「まずは、初めての監督作品に賞を与えてくださった映画祭、審査員の皆さんに感謝したいと思います」と感謝した。

その上で「デビュー作なんで、いいニュースもないだろうと思い込んで、実はビルバオに移動して、グッゲンハイム美術館を観光して」と、映画祭のご当地バスク地方を観光していたと明かした。そして「バルに入って(バスク地方のワイン)チャコリを飲みながらハムを食べていたところ、電話がかかってきて、チャコリを噴き出しそうになりました」と、観光の最中に思わぬ吉報がもたらされた際の様子を笑いながら明かして、出席者の笑いを誘った。

「百花」は、配給の東宝のプロデューサーとして映画を製作する一方で脚本家・小説家の顔も持つ川村監督が、自身の体験から書き上げて19年に発表し、25万部を超えるベストセラーとなった自身4作目の小説「百花」を自ら監督・脚本を手掛けて映画化。記憶を失っていく母と向き合うことで、母との思い出をよみがえらせていく息子・葛西泉を菅田将暉(29)、認知症になって全てを忘れていく中で、さまざまな時代の記憶を交錯させていく母・百合子を原田美枝子(63)が演じ、ダブル主演を務めた。泉と同じレコード会社で働き、初めての出産を控える泉の妻・香織を長澤まさみ(35)百合子の「秘密」を知り、「事件」と深い関わりを持つ男・浅葉洋平を永瀬正敏(56)が演じた。

川村監督は原則1シーン、1カットでの撮影にこだわった。菅田は映画のプロモーションの中で「現場だと1カット、1シーンで撮っていたりして、チェックしている隙間もない。ヘトへトで、次、どうしようかとチェックする時間もない。自分が出ていないシーンは見入って感動しました」と語っていた。原田も「(川村監督が)最初、何を撮りたいんだろうと感覚が謎で大変でした。監督が多くのものを映し出そうと感じた時は、信頼関係が出来た感じ」と語った。同監督は「あとは主演の2人、菅田将暉と黒澤明のミューズである原田美枝子…主演のこの2人に心から感謝したい。素晴らしいスタッフ、キャスト全員に感謝したいと思います」と菅田、原田らキャスト、スタッフに感謝のメッセージを送った。

その上で「最後に、この物語は、僕のおばあちゃんの物語でもあります」と、自身と祖母との関わりから生まれた物語であると紹介。「この喜びを、おばあちゃんにも報告したいんですけれども、おばあちゃんは、もう、この世界にはいません。この場を借りて、天国のおばあちゃんに報告をさせていただければと思います」と語り、スピーチを締めた。

川村監督は、授賞式後の会見で「日本人監督として初受賞だが、感想は?」と質問を受けると「(受賞の)スピーチでも言ったんですけど…ちょっと、初監督作品で、もらえると思っていなかったので。ビルバオで、グッゲンハイムを観光して生ハムを食べていたので、連絡が来た時は本当にビックリしましたけど。本当に光栄なことだと思っています」と笑顔で語った。

 

◆川村元気(かわむら・げんき)1979年(昭54)3月12日、横浜市生まれ。日活で助監督を務めていた父のもと、日常的に映画に触れ合う環境に育つ。上智大新聞学科を卒業した01年に東宝に入社。05年に、26歳で企画プロデュースした「電車男」が興行収入(興収)37億円と大ヒット。10年の「告白」も興収38億円とヒットし、同年の「悪人」はキネマ旬報ベスト・テンで日本映画1位に輝いた。11年に藤本賞を最年少で受賞し、人気、実力を兼ね備えた次世代の日本映画界を担うプロデューサーとして一躍、その名を知られる存在となる。

翌12年には「世界から猫が消えたなら」で作家デビュー。16年には新海誠監督のアニメ映画「君の名は。」をプロデュースし、興収250億3000万円と日本映画史に残る大ヒットに導いた。18年には「ドラえもん」38作目の映画となった「ドラえもん のび太の宝島」の脚本を担当して脚本家デビュー。同年には、同じく東宝社員の古澤佳寛プロデューサーと、将来有望なクリエーターや監督らによる映像作品の企画及び製作を行う目的で企画製作会社「STORY」を、東宝に所属しながら設立。代表取締役社長を務める古澤氏とともに、代表取締役プロデューサーに名を連ねた。