ロックバンド、シーナ&ロケッツのリーダーでギタリストの鮎川誠(あゆかわ・まこと=本名同じ)さんが29日午前5時47分、膵臓(すいぞう)がんのため亡くなった。74歳。所属事務所が30日、発表した。

昨年5月にがんが発覚し、余命5カ月程という宣告を受けたが、本人の強い思いで公表しなかったという。2月4日に東京・代沢の森巌寺(しんがんじ)開山堂で「ロック葬」を執り行う。喪主は長女でモデルの陽子(46)。

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鮎川さんは「自分が死ぬまでの間に、1本でも多くシーナ&ロケッツのライブをやりたい」と、全身全霊で最後まで現役を貫いた。所属事務所によると、昨年5月に膵臓がんが発覚し、医者から余命5カ月程の宣告を受けたというが「みんなに心配をかけたくないという強い希望から一切病気を公表せず、ライブの合間に治療を続けながら全国ツアーを続行しました」。昨年は45周年記念ライブ、47都道府県ツアーなどを行い、ここ数年で最多のライブを行っていた。

生前最後の仕事となった、昨年12月19日の京都市内で行われたライブでも10曲を演奏。「昨年末激しい腹痛により一時入院となるも、この1カ月間は医師の治療の下、ライブ復帰を目指して自宅で懸命に家族と回復に努めておりました」。さらに「亡くなる直前まで次に出すアルバムの選曲を考えたり音楽制作に没頭しておりました。最期の瞬間までロックに身をささげた生涯でした」。最期は都内の自宅で、3人の愛娘にみとられたという。

鮎川さんは78年に、妻で15年に子宮頸(けい)がんで亡くなったシーナさん(悦子さん)らとバンドを結成し「涙のハイウェイ」でデビュー。79年に「ユー・メイ・ドリーム」がJALのテレビCMに起用されてブレークすると、「レモンティー」「ピンナップ・ベイビー・ブルース」などを次々とヒットさせた。

葬儀は来月4日、長年暮らした下北沢で「ロック葬」で執り行われる。15年にシーナさんが死去した際にも、鮎川さんが同所で「ロック葬」と銘打った葬儀を行い、海援隊、故崔洋一監督やファンら約2000人が参列した。事務所は「どうぞ当日は皆さま、遠い世界に旅立つ鮎川誠に会いに来て最後の別れの言葉をかけてあげてください」とつづった。

◆鮎川誠(あゆかわ・まこと)1948年(昭23)5月2日、福岡・久留米市生まれ。九州で人気を博したグループ「サンハウス」を率い、九大在学中にシーナさん(故悦子さん)と出会い、妊娠を機に75年に結婚。3人の娘をもうけた。78年にシーナ&ロケッツを結成し「涙のハイウェイ」でデビュー。88年にTBS日曜劇場「男たちのフツーの週末」でドラマデビュー、01年にはNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」で朝ドラに出演する役者としても活躍した。