元タレントの上岡龍太郎(本名・小林龍太郎)さんが5月19日、大阪市内の病院で、肺がんと間質性肺炎のため亡くなったことが2日、明らかになった。81歳だった。

上岡さんと、日本テレビ系で90年4月から94年4月まで放送された深夜ワイドショー番組「EXテレビ」で共演した大竹まこと(73)が同日、パーソナリティーを務める文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ!」(月~金曜午後1時)に生出演し、同番組内で上岡さんの訃報に触れ、追悼のコメントを発表した。

大竹は「ニュースが、飛び込んできました。私も、ここ(文化放送)に来て15分くらい前に飛び込んできて…かなり驚いているというか、ええっ? と思った」と、まず驚きを口にした。

そして「私ね、5月15日のNHKの(ラジオ)『深夜便』に出演させていただき、自分の師匠、師について語ってくださいと。向こうは弟子と思っているか分からないけれど、大阪では上岡さんを勝手に師と仰いでいる」と、NHKラジオ第1で先月15日に放送された「ラジオ深夜便」の中で、上岡さんを師匠と位置付け、語ったばかりだったと明かした。大竹は「東京では(ビート)たけしさんが、私をかばってくれている。大阪でも東京でも私のような者を、こういうところで、しゃべっていられるようにしてくださる」と感謝した。

大竹は、上岡さんを「格好つけ、ダンディズムの中にいらっしゃった」と評した上で「EXテレビ」出演時のエピソードを披露。「『EXテレビ』が、私と上岡さんの最初でね。トーク番組で、関西の重鎮もいて簡単に口を出せる状況じゃなく、黙っていた。言えないと思った」と、慣れない大阪の番組への出演で苦戦したと振り返った。そして「意見の多い方の意をくんだ意見に『私も、そう思います』と一言、言ったら、上岡さんがバーッと飛んでこられて『卑怯(ひきょう)だ。なんでしゃべんないんだ、と』」と、上岡さんにしかられたと振り返った。大阪のトーク番組は、東京とはルールが違い、司会が「~さん?」とは話を振らない上、大竹は「そのルールを、俺は知らなかった」と振り返った。そして「ただでさえ、発言できない場に、なんで呼ばれたか分からず、卑怯だと言われた」と振り返った。

「EXテレビ」への出演後、所属していたプロダクション人力舎の玉川善治社長に「大阪で失敗した…あの仕事、ないよ」と告げたが「2、3カ月して、また番組から仕事が来て」と再出演の機会が巡ってきたという。大竹は「行って『卑怯だ』と言われたから、知ったこっちゃないと、しゃべり倒してきた」と、何もしゃべれず、上岡さんにしかられた初出演の反省から、しゃべり倒したと振り返った。

ところが「(番組が)終わるかなと思ったら、また上岡さんが飛んできて『しゃべりすぎだ、しゃべりやがって』と…この間、しゃべれと言ったじゃないかと」と、今度はしゃべりすぎて上岡さんにしかられたと振り返った。ただ「それから、何か知らないけど大阪の、特に上岡さんの番組に呼ばれるようになった。このラジオが始まる、都合13年、東京と大阪と名古屋をかけもちする日々を送る」と、上岡さんとの縁、絆ができたと振り返った。