「漫画トリオ」やテレビ・ラジオの司会者として一時代を築いた元タレント、上岡龍太郎さんが5月19日に大阪府内の病院で、肺がんと間質性肺炎のため亡くなっていた。00年に芸能界引退後の窓口となっていた米朝事務所が2日、発表した。81歳。

本人の意向もあって、ごく限られた身内での密葬は既に行われた。お別れの会なども本人が固辞していたという。

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1997年、上岡さんはテレビ、ラジオでレギュラー無数の売れっ子だったが、突如として「引退する」と表明。まだ54歳だった。

引退の理由として、上岡さんは「妻に『もし僕を見て老いたな、と感じたら、正直に言って。引退するから』と伝えたら『じゃあ、今もう辞めて』と言われた」と話したことがあった。最愛の妻からの言葉が引退の決め手になったという。

最後の仕事は00年4月、大阪松竹座での芝居公演「かわら版忠臣蔵」での主演。少年時代から時代劇ファンで、特に市川右太衛門があこがれだった。最後の公演はチャンバラあり、かつてスケート部だったという技術を生かしてローラースケートも使ってアクションありの大活劇。引退を惜しむファンの喝采を浴びた。

上岡さんを「心の師匠」とする島田紳助さんらは引退撤回を求めたが、本人の気持ちは変わらず。引退後はファンの前に姿を見せることはわずか。盟友ノックさんが一門会を開催した際、ゲストの喜味こいしさんが観客として客席にいた上岡さんに「ちょっと(舞台に)出ておいでえな」と呼びかけたものの、ステージに立つことはなかった。

◆上岡さん最盛期3年後に引退 上岡さんが最もテレビ界で引っ張りだことなったのは1997年。すでに放送されていた「探偵!ナイトスクープ」「鶴瓶上岡パペポTV」「ノックは無用!」に加え、テレビ朝日「大発見!恐怖の法則」「超次元タイムボンバー」「上岡龍太郎の金印」「上岡龍太郎のイチャ門天」「龍ノ福耳」、さらにフジテレビ「上岡・ヒロミの花も嵐も」、テレビ東京「対決!マイベスト10」の計10本が、この年に放送された。同時期には、ラジオ大阪「歌って笑ってドンドコドン」も放送されていた。