1972年(昭47)の映画「木枯し紋次郎」や91年「新・極道の妻たち」などで知られる、中島貞夫監督が11日夕方、肺炎のため京都市内の病院で亡くなった。88歳だった。かつて社員として所属した東映が15日、発表した。葬儀は家族葬として既に執り行った。

東映の吉村文雄社長(58)は、中島監督が東大卒業後、同社に入社したことを踏まえ「この度は中島貞夫監督のご逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を表します。中島監督は、1959年に当社入社後、当社の代表作となる劇映画、またテレビ映画を数多く制作されました。まさに東映の一時代を支えてくださった監督でした」と感謝した。

また「さらに中島監督は監督業だけでなく大阪芸術大学や立命館大学でも長らく教べんをとられ、その教室からは熊切和嘉監督、山下敦弘監督、呉美保監督、石井裕也監督など数々の才能を輩出し、邦画界に新しい息吹を与えてくださいました」と、日本映画界に羽ばたいた、多くの優秀な監督を育成した、中島監督の指導者としての業績を紹介した。

吉村社長は、1988年(昭63)3月に立命館大を卒業後、同年4月に東映に入社したが、若手時代に中島監督に世話になったエピソードも明かした。「個人的には関西で勤務していた1990年代に(09年2月に閉園した大阪府吹田市の遊園地)エキスポランドのお化け屋敷の監修で中島監督にお世話になった思い出があります」。そして「日本を代表する偉大な監督を失ったことは大きな悲しみではありますが、日本映画界に素晴らしい財産を残してくださったことを深く感謝するとともに、衷心からご冥福をお祈り申し上げます」と感謝と“先輩”への追悼の思いをつづった。