音楽の殿堂として多くのファンや、アーティストに親しまれた東京・中野のランドマークである中野サンプラザが今日2日、同地区の再開発のため、50年の歴史に幕を下ろす。サンプラザ中野くん(62)がこのほど取材に応じ、同所での思い出や芸名誕生の秘話などを明かした。さらに今後、芸名を「くん」に変更する可能性も、冗談を交えて語った。【聞き手=佐藤勝亮】

   ◇   ◇   ◇

18年9月に解体が発表されて約5年、ついに今日2日に節目を迎える。

「本当にお疲れさまでしたっていう感じですね。約50年ですよね。私の年齢よりは若いですけど、デビュー以降お世話になってから考えると、ずっと一緒に歩んでこれたような気がします。中野サンプラザの運営の人にもよくしていただいて。次の施設ができるまで、今後数年間『中野サンプラザ』というワードを耳にしなくなると考えると、残念です。ロスですね」

解体が発表された時は、まだ同所でライブを行っていなかった。

「発表された当時は、もったいないなという気持ちと同時に、やばいなって思いました。なんでやばいなって思ったかというと、1度もコンサートを開いたことがなかったので。デビューした時、偉い方が『中野サンプラザでライブをするのは、あまりにもハマりすぎていて面白みがないから大事な時までやめておけ』って。そのまま時が過ぎて、1回もコンサートをしない間に解体されちゃうって聞いて、やばいなって思いました」

その後20年9月に、パッパラー河合と念願の初ライブを行った。ステージに立つのは、81年のアマチュアバンドコンテスト「ヤマハ・イーストウェスト」以来だった。中野サンプラザは、初めてコンサートを見に行った思い出なども詰まっている。

「16歳の時かな、初めて女の子とコンサートを見に行こうってなって、選んだのが中野サンプラザでのチューリップさんのコンサートでした。2階席からみさせていただいて、とても素晴らしかったのを覚えています」

芸名は、その時に思いついたのだろうか。

「そのコンサートを見た時は、全く考えていなかったんです。実は81年の『ヤマハ・イーストウェスト』で優秀賞をいただけて、打ち上げに呼ばれて。その場で自己紹介をする時に、ドキドキしちゃって(笑い)。隣の女性に『僕、なんて言ったらウケますかね』って聞いて。そしたら『あなたの本名は中野でしょ? 今日の会場は中野サンプラザ、ひっくり返していえば絶対ウケますよ』って(笑い)。言ってみたら異常にウケて。その女性にありがとうって言いながら、芸名にしました」

ひょんなことから決まった芸名だが、84年に「爆風スランプ」でメジャーデビュー後もずっと大切にしてきた。中野は「この芸名には本当に感謝しています。付けたことに後悔はないです」と言い切った。

再開発地区は「NAKANOサンプラザシティ」として28年度内の新生を目指し、地区内には最大7000人規模の「NAKANOサンプラザ」としてホールも生まれ変わる予定だ。芸名はどうするのだろうか。

「この前ツイッターを見ていたら、中野サンプラザがなくなったら、サンプラザ中野くんは『くん』だけになるんだろうかって(笑い)。だから新しい施設が開業するまでは、『くん』だけでいくっていうのも面白いかな(笑い)」

現在の中野サンプラザは解体されてしまうが、来年「爆風スランプ」はデビュー40周年を迎える。

「来年、爆風スランプがデビュー40周年なので、そろそろバンドの動きがあってもいいかなって思っています。多分、気を抜けないバンド活動になるんじゃないかな。ファンのみなさんを『あいつら何やるんだろう』って、ワクワクさせられる活動をしたいです」

◆サンプラザ中野(なかの)くん 1960年(昭35)8月15日、山梨県生まれ。早大在学中の84年に爆風スランプのボーカルとしてデビュー。「Runner」「リゾ・ラバ」などのヒット曲を発表。99年に「サンプラザ中野」としてソロで活躍。08年に現名に変更。趣味は健康、株。181センチ。血液型B。

◆中野サンプラザ 旧労働省(現厚生労働省)が勤労者向けの福祉施設として建設し、73年6月1日に全国勤労青少年会館として開業した。中野サンプラザは公募で選ばれた愛称。ふるさとの新聞が読めるコーナー、職業や結婚の相談所、夏祭りでは故郷に3分間かけられる無料電話が設けられた。上層階のホテルは上京した家族らが格安で泊まれた。04年に民営化され、愛称が正式名称となる。以後、ホテル、会議室、ホールなどの複合施設となった。サンドイッチと形容される独特の三角形のビルで、地上21階、地下2階。