12月31日をもって、100年にわたる日本での劇場配給業務を終了するワーナー ブラザース ジャパン合同会社、ワーナー・ブラザース映画ファンフェスティバル・グランドフィナーレとして23日、東京・丸の内ピカデリーで、12年の映画「るろうに剣心」が上映された。大友啓史監督(59)が、10年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」のチーフ演出を務めた後、11年4月に退局し映画監督に転身した情報をつかみ、同6月に「るろうに剣心」の実写映画化を報じた。それ以降、佐藤がアクションのトレーニングをする稽古場含め、継続して取材してきた。ワーナー・ブラザース映画の作品もずいぶん、取材したが「るろうに剣心」シリーズは思い入れが深く、何とも言えない思いで取材した。
上映前の舞台あいさつにサプライズで登壇した相楽左之助役の青木崇高(45)は「撮影も舞台あいさつも結構、日本全国に行きましたね」と振り返った。大友監督も「海外にも行ったしね」と懐かしそうに口にすると、緋村剣心を演じた主演の佐藤健(36)が「フィリピンとか」と続いた。青木も「フィリピン、いいっすよ! 数日後、福岡に入って広島、京都、大阪、名古屋…翌日、北海道に行って」と、大規模な宣伝キャンペーンがあったと振り返った。
トークの中で話題に上った「フィリピン」とは、2014年(平26)8月6、7日にフィリピンのマニラで開催されたシリーズ第2作「-京都大火編」のアジアプレミアのことだ。当時、日本映画のプレミアイベントがフィリピンで行われるのは史上初めてで、前作「るろうに剣心」がフィリピンで公開された日本映画の当時の興行収入新記録54万ドル(約5400万円)を樹立したことから、プレミアが企画され、記者にも同行取材に行かないかと声がかかった。
フィリピンでの映画のプレミア自体、13年5月にビン・ディーゼルらが参加した米映画「ワイルドスピード ユーロミッション」に続き2本目だった。関係者から、事前に「歴史に残る国家的イベントになる」とは聞いていたが、想像以上だった。佐藤と青木、神谷薫役の武井咲(31)とともに空港に到着した途端、周囲には約60名の現地スタッフが集まった。アジアプレミアの会場となったSMメガモールは、世界でも有数のショッピングモールで、ホテルから同所に車で移動する際には、フィリピン国家警察の白バイ4台が先導し、完全警護した。ここまでのVIP待遇は、当時の米オバマ大統領がフィリピンを訪問した時と同レベルだと聞かされたが、警察官に先導されて映画のイベントの現場に向かうのは初めてのことだった。
SMメガモールに着くと、レッドカーペットにはフィリピンの島しょ部や近隣の国から駆けつけた人も含め、5000人のファンが集まり「タケルーッ!!」と絶叫するなど熱狂していた。これには、佐藤も「予想の150倍くらいすごい。人数もすごかったですけど、それ以上に1人ひとりの熱量が、すごい。今までの人生で受けた1番の熱量」と仰天した。当時、3人ともフィリピンへの訪問は初めてだったが、武井と青木の人気もすさまじく「咲ちゃん、かわいい」と日本語で歓声が上がると、青木も演じる相楽左之助に引っかけ“サーノコール”をかけられた。武井は「初めてで、こんなにいっぱいの人…すごくうれしかった。ビックリしか言いようがない」と驚いていた。
熱気がすごく、取材も力が入ったが、困ったのは通信事情の悪さだった。現地時間夕方にスタートしたプレミアは全体の尺が1時間弱で、終了後に急ぎ原稿と写真を出稿すれば、時差が1時間進んでいる日本時間の締め切りに、ギリギリ間に合う状況だった。ただ、事前に通信事情がよろしくないとは聞いていたが、5000人のファンが携帯電話や通信端末を利用していたため、現地に持参した携帯電話やWi-Fiルーターといった通信端末が通信途絶状態に…。それでも、大混乱のレッドカーペット上で、俳優陣が歩いている写真を撮り、その場でパソコンに取り込み、何度もWi-Fiルーターの電源をつけたり切ったりなどトライし続けた末、1分程度、通信がつながり、原稿1本と写真1枚だけ、何とか日本に送ることができた。
翌7日には、マニラ市内で一般にも公開する形で記者会見が開かれたが、前日のプレミアを1000人上回る6000人が集まった。2日間で1万1000人を動員した佐藤は「ジャパニーズ・スーパースター」と紹介された。地元メディアから「ハリウッドがリメークしたいと言ったらどうする?」と質問が出ると、会場内には悲鳴と歓声が合わさって上がり、佐藤が「みんなの反応が答えじゃないですか」と言うと、客席から「NO!」のコールが起きた。
佐藤は、イベント後「日本の映画が世界に、もっとドンドン行けばいいと思う。『るろうに剣心』が1つのきっかけになってくれたらうれしい。自信になったし、もっと、もっと(世界に)行ける」と胸を張った。一連の取材を終え、原稿と写真の出稿も落ち着いた午後10時過ぎになって、佐藤、青木、大友監督の男性陣と記者の懇親の集いが催された。熱気あふれるイベントについて「すごかった」などと盛り上がり、互いに肩を組まんばかりに寄せ合ったテンションの高いひとときだった。いつもは記者として、一線を引いて取材しているが、あの夜ばかりは、メディア側も完全に「るろうに剣心」でつながった“仲間”だった。佐藤と青木の満面の笑みは、今でも忘れない。
青木が23日の壇上で振り返ったように、14年8月8日にフィリピンから帰国後、すぐに国内でも大規模な宣伝キャンペーンが展開された。翌9日から福岡、広島、大阪、京都、名古屋、同10日には札幌、仙台、盛岡、埼玉を経て東京で舞台あいさつを行った。中でも佐藤は、主演として5日間で2カ国11都市を宣伝で回る“るろうの旅”とも言える宣伝キャンペーンの全てに参加。第1弾製作発表時に「アクションが格好良くなかったら役者、辞めます」と口にした覚悟を行動で示し、作品を主演として背負った。
それから11年が経過し、ワーナー・ブラザース映画が最後の日を迎えるとは、登壇した面々も思ってもみなかっただろう。佐藤は23日の壇上で「『るろうに剣心』は僕に、とてもたくさんの大切な出会いをくれ、仲間ができました。僕の誇りであり、自慢であり、宝物。こんな作品と出会わせてくれた、きっかけを作ってくれたワーナーさん、本当にありがとうございます」と感謝。「形は違う、変わるかも知れないですが、終わりではないと思っています。また、面白いことを一緒にやりましょう」と呼びかけた。
この言葉を聞いた、ワーナー・ブラザース映画関係者は、きっと涙が出るほど、うれしかっただろう、「るろうに剣心」と佐藤を追いかけてきた記者も、胸の奥が温かく、震えた。ワーナー・ブラザース映画は幕を閉じる…でも、日本映画界に積み重ねてきたものは、作品として残る。佐藤が口にした「また一緒にやる、面白いこと」を、記者も取材し、追いかけていきたい。【村上幸将】



