壮大なスケールのSF小説「日本沈没」などで知られる作家の小松左京さんが、26日に肺炎のため大阪府箕面市の病院で死去したことが28日、分かった。80歳だった。関係者によると、今月8日から同病院に入院しており、最期は家族にみとられて安らかに逝ったという。小松さんは創作活動の傍ら、旺盛な好奇心と博識で、未来学・文明論にも積極的に発言。無邪気で飾らぬ人柄で、座談やテレビでも活躍した。葬儀・告別式は近親者のみで済ませた。

 日本SF界の巨星が逝った。小松左京事務所の乙部順子社長によると、小松さんは発熱症状があり、今月8日に入院。しばらく症状は安定していたが、26日になって容体が急変し、同日午後4時36分、帰らぬ人となった。亡くなる直前には、東日本大震災について「この危機は乗り越えられる。日本は必ずユートピアを実現できる。日本と日本人を信じている」と語るなど、最期まで日本の行く末を気にしていたという。

 大阪市で生まれ、兵庫県西宮市で育った。31歳だった62年に「SFマガジン」への投稿作品でデビュー。64年には廃虚で鉄を食う一族を痛快に描いた「日本アパッチ族」で一躍人気作家に。その後も「復活の日」「果しなき流れの果に」などの長編を次々と発表し、日本のSF界を切り開いた。

 73年には、日本推理作家協会賞を受賞した大作「日本沈没」を発表。上下巻合わせて400万部を超える大ベストセラーになるとともに、ドラマ化や映画化され、日本中をブームに巻き込んだ。

 「ブルドーザー」とあだ名された並外れた馬力とスケール、「歩く百科事典」とも呼ばれた驚異的な博識をベースにした活躍は文学界だけにとどまらなかった。一貫して追求したテーマは「人類と文明の行方」。科学技術や未来都市の分析は、SFという文学の一ジャンルを超え、未来学や文明批評という仕事につながっていった。

 巨体に人懐こい笑顔で、よく食べ、よくたばこをふかした。軽妙で冗舌な大阪弁。テレビでのユーモアたっぷりのしゃべり口は、お茶の間からも愛された。阪神大震災の後は自身を育んだ阪神文化の復興に力を尽くし、提言を続けていた。その行動力、貪欲な好奇心、SFを生活や実学に結び付けていくリアリズム。関西が宿す開放的なエネルギーを体現し、存分に開花させた生涯だった。

 ◆小松左京(こまつ・さきょう)本名・実(みのる)。1931年(昭6)1月28日、大阪市西区で5男1女の次男として生まれる。幼少期に西宮市に移住。京大文学部イタリア文学科卒。経済誌記者、工場経営などの職業を経て、62年「易仙逃里記」でデビュー。70年の大阪万博や90年「国際花と緑の博覧会」の企画に携わったほか、多くの国際シンポジウムのまとめ役も務めた。82年発表「さよならジュピター」の映画化にあたっては、自ら脚本、制作、総監督を手掛けた。