5日に57歳で亡くなった歌舞伎俳優中村勘三郎さんの葬儀・告別式が11日、東京・文京区の自宅で行われた。前日の通夜同様に「近親者による密葬」の形だったが、親交のあった芸能関係者ら約500人が最後のお別れをした。出棺の際には紙吹雪が派手に舞い、ひつぎには踏むことができなかった新しい歌舞伎座の所作台の切れ端が納められた。本葬は27日正午から東京・築地本願寺で行われる。

 野田秀樹、江川卓氏、義弟の中村福助、中村獅童らに担がれたひつぎが霊きゅう車に運び込められた時、エアバズーカから発射された天使、ハト、イチョウ、桜などをかたどった紙吹雪が舞った。にぎやかなことが好きだった勘三郎さんのため、平成中村座などで一緒に仕事をした特殊小道具のスタッフが用意した。

 ひつぎの後に孫の七緒八くん(1)を抱いた好江夫人、位牌(いはい)を手にした長男勘九郎夫人の前田愛が続く。ひつぎには闘病中に届けられた励ましの手紙、来年4月に完成する歌舞伎座の完成予想図、旧歌舞伎座の所作台(踊りなどで地舞台の上に置く台)の30センチ大板の表に「中村勘三郎」、裏にスタッフたちの名前を書いたもの、踏むことがかなわなかった新しい歌舞伎座の所作台の切れ端も納められた。天国で思いっきり踊れるようにと願いが込められた。

 喪主の勘九郎・七之助兄弟は京都・南座公演中のため、2人の喪主、そして好江夫人の思いを込めたメッセージを元フジテレビアナウンサー野間脩平氏が代読した。「短い人生でしたが、楽しい人生、すてきな人生、かっこいい人生をまっとうすることができました」「ICU(集中治療室)での131日間、回復することを信じて闘い抜きました。心が折れそうになる家族を時に励ましてくれさえしました。11月初旬に3カ月ぶりに声が出た時の言葉は『好江、雅行(勘九郎の本名)、隆行(七之助の本名)、愛、七緒八、ありがとう』でした」と読み上げると、すすり泣きが広がった。

 霊きゅう車が自宅を出発する時、拍子木で「チョン、チョン、チョン」と舞台の閉幕を告げる柝(き)が入り、関係者、そしてファンから「中村屋!」「18代!」と掛け声が飛んだ。勘三郎襲名舞台や昨年の病気からの復帰舞台での大きく、張りのある掛け声ではなかった。悲しくて、悔しくて、嘆きのこもった切ない掛け声だった。【林尚之】

 ▼主な参列者

 野田秀樹、松本幸四郎、海部俊樹、中村吉右衛門、江川卓、中村獅童、宮藤官九郎、阪本順治、水谷八重子、TBS井上弘会長、富司純子、寺島しのぶ、ラサール石井、椎名林檎、大地真央、市川猿之助(順不同、敬称略)