自民党総裁選(17日告示、29日投開票)の構図が固まってきた。岸田文雄前政調会長(64)に続いて高市早苗前総務相(60)、河野太郎行革相(58)が出馬表明。昨年に続いて複数候補による総裁選だが、候補者の年齢や顔ぶれだけを見れば、新鮮な雰囲気が漂う。ここに、出馬なら5度目の挑戦となる石破茂元幹事長(64)が加わるか加わらないかで、構図もまた変わってくる。

現時点で、良くも悪くも「空気を読まない」のが持ち味の河野氏が、「何をするか分からない」という一点で、期待も警戒も含めて注目を集めている。しかし、10日に行った出馬会見では、脱原発や皇室をめぐる持論について従来の主張から後退。会見後の報道では、「封印」「配慮」というキーワードがあふれた。

これまで「異端児」「直言居士」といわれ続けてきた河野氏には、およそ似合わない評価。ある自民党議員に感想を聞くと「牙を抜いたのか抜かれたのか、隠したのか。『配慮』や『封印』なんて河野さんにとってはNGワードだよ」と、苦笑いだった。

河野氏の総裁選出馬は2度目。2009年9月、自民党が衆院選で政権を失い、野党自民党として再生を歩み出す際の総裁選に初めて出た。もちろん、政権与党の今回と環境は大きく違うが、河野氏はいわゆる「河野氏らしさ」全開だった。この時は当選5回。世代交代論をひっさげ、忖度(そんたく)なしの直言を連発した。当時の取材ノートを読み返すと、いわゆる派閥横断的な支持を得た谷垣禎一氏に対し、若手・中堅の期待を背負った河野氏が対抗する流れ。ここに、最大派閥の清和会(当時は町村派)から、河野氏と同世代、現経済再生担当相の西村康稔氏が参戦。三つどもえの戦いになった。

この西村氏の出馬をめぐっては、河野氏の世代交代論を嫌う党長老たちが、河野氏の票を分散させようとする「河野つぶし」のためではないか、との見方があった。

実際、河野氏も告示日の会見で「推薦人を集める段階で、派閥の領袖(りょうしゅう)から私の推薦人に辞退するように電話があった。まだ懲りない人がいる」と、対抗心丸出しで上層部の圧力を暴露。西村氏は森喜朗元首相に近く、出馬はその差し金ではないかとの臆測まで飛んだ。

河野氏は森氏に「過去の功績はあるものの、そろそろ出処進退をお考えになるべきだ」と引退勧告まで突きつけ「河野総裁のもとでは派閥も年功序列も全くない。能力オンリーだ」と言い切った。

「暴論」に近い主張でも、再生が至上命題だった当時の自民党の中では、小気味がよかった。当時の民主党政権誕生フィーバーに隠れた自民党総裁選は、谷垣氏が下馬評通り圧勝したが、それでも河野氏の存在感をみせる舞台にはなった。

河野氏はその後、政治家として当選を重ね「改革派」として頭角を現した。インターネットの生放送で一般からの質問にも答えるなど、政治家らしくない親しみやすさも人気を押し上げた。先日の出馬会見では、質問に端的に答えていく「らしさ」もあったが、「封印」「配慮」「はぐらかし」の「らしくない」印象の方が上回った。前回の総裁選とは別人。期待されていたのは、もっとストレートな物言いではなかったかと感じた。

河野氏と同じ直言で知られた小泉純一郎元首相は、党内が猛反発した郵政民営化の持論を曲げずに総裁選に3度挑戦し、3度目で勝利した。総理の座を目指すには、もちろん1人の力ではどうにもならない。時の運に加えて「数の力」、配慮も封印も必要かもしれないが、個人の思いが1度ブレれば修正の手間が生じ、余計な体力を使うことにもなりかねない。

首相になることは目的ではなく手段とは、石破茂氏がよく口にする言葉だ。忖度なしから「現実路線」にかじを切った河野氏は、総裁選選挙戦でもこの点を追及されるだろう。

河野氏の父、洋平氏は、55年体制崩壊で最初に自民党が政権を失った93年の総裁選で、野党自民党の総裁になった。首相になれなかった初の自民党総裁だ。河野氏にとっては、父が果たせなかった総理の座を目指す戦いにもなる。【中山知子】